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耳の不自由な「ろう者」にとって大切なコミュニケーションのひとつに「手話」があります。しかし以前、ろう学校ではその手話が禁止されていた時代があったのをご存知でしょうか。先月上演された、ろう者を主人公とした舞台を通し、現在のろう教育の課題について考えます。

『現在、かなりのろう学校で手話が禁止される方向に向っています。どうして!どうしてですか!』

先月、沖縄市で上演された演劇「白雨(はくう)至りて」戦中戦後のろう学校を舞台に、ろう者が生きてきた厳しい環境と、その中で小さな恋心を交わす男女の悲しい物語が、観客の心を惹きつけました。

お客さん「すごく感動しました」「すごかったです」「手話を使った劇は初めてなんですけど、聞こえる世界が当たり前じゃないというのを気づかされました」

『た・ち・な・さ・い。手話は使うなと言っているだろうが!』

ろう学校の校長が、口の動きから言葉を読み取る「口話法」を教える場面。「口話」を身につけるために手話が邪魔だと考えた校長は、子どもの腕を縛り上げる・・・。以前、実際にあった光景です。

今から75年前(1933年・昭和8年)、当時の文部省は耳の聞こえる人とのコミュニケーションを第一に考え、「口話法」をろう教育の原則とします。これによって多くのろう学校で手話が禁止されました。

『たかし君の両親も国のせいで死にました。今度は言葉を言葉を取り上げるわけですか』

難聴の女の子「(実際の出来事をモデルにしている)本当のことだと聞いて、怖い気もしました」

「明日、修学旅行出発です。明日ですよ」

北中城村にある沖縄ろう学校。この日は中等部の修学旅行の前日。旅行の最終確認が行われていました。

「時間を守ること」

仲原善太郎君「(携帯は)持ってない人もいるけど、(携帯には)フラッシュがついているものもあるけど、撮影はダメですか?」

先生「動物を写す時にはフラッシュはやめて下さい」

現在、沖縄ろう学校をはじめ、全国のろう学校では、手話と口話が併用して使われています。しかし、これも8年程前から徐々に広まってきたもので、まだその歴史は浅いのです。

新川善昭校長「聴覚に、障害のある方たちにとっては辛い時期だったと実感します」

「手話禁止」の教育によって手話を十分に習得できず、さらに「口話」という難しい技術も習得出来ないまま、社会で暮らしているろう者も数多くいます。これにより、ろう者間のコミュニケーションだけでなく、手話が使えない家族とのコミュニケーションも出来ずにいるのです。

高良美樹さん(高3)「私も幼稚部の時に手話は禁止だったので、それはよく知っています」

大学受験を目指す高良美樹さんも辛い体験をした一人ですが、現在のろう教育にも課題があります。それは-。

新川善昭校長「専門性です。先生方の聴覚障害教育の専門性をどう高めるか」

島袋律子先生「大変申し訳ない話ではありますが、来てから手話を習い初めた。最初は生徒にならってるかたちです」

ろう学校には一般の教員が異動し、赴任する先生の多くが当初手話が使えません。さらに・・・。

島袋律子先生「(手話を)習得出来た3年〜4年後、生徒に自信を持って話ができる、手話もできるという段階で異動の時期が来てしまいます」

高良美樹さん(高3)「また新しい先生が来るのかと思うと、やっぱり辛いというかショックという気持ちはあります。勉強もそのぶん遅れてしまうので」

「手話禁止」という時代は過去の出来事ですが、現在のろう教育が決して十分というわけではありません。

山脇さん「経験していない僕が受け取ったバトンというのは、僕の解釈がかなり入っているので、それが正しいのか間違っているのか、すごく不安なんですけれども、じっとしているわけにはいかなかった」

高良美樹さん(高3)「私はろう学校に来て手話が大切だということも分かったし、ろう学校の先生になって、できるのであれば手話もいろいろ教えて、言葉の意味の深さ、言葉の大切さをいろいろ教えてあげたいと思っています」

ろう教育をめぐっては、今年のはじめに知的障害や視覚障害の学校とろう学校を統合する問題が浮上しています。統合されると、専門性という部分がさらに薄くなるのではと、父母などが危惧していて反発もあります。