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1959年6月30日、整備不良のアメリカ軍戦闘機が宮森小学校に墜落、炎上。

この事故で、児童12人を含む18人が死亡、200人以上がけがをしました。30日、学校で行われた慰霊祭では、参加者全員で、黙とうが捧げられた後、山城博志校長が「全てを奪われた先輩方を決して忘れてはいけない。命を大切に平和な世の中にするために行動しよう」と呼びかけました。

式典には80代90代となった遺族の姿もあり、「悲しみは癒えることはない」と口をそろえました。

参加した遺族は「沖縄の空に平和を恵んでください。基地のない平和を恵んでくださいと言っても(届かない)子供たちがかわいそうでたまらない。」と話し、また、別の遺族は「こっちに来たら涙が止まらないさ。」と話し、記者が「56年っていう時間はどれくらいでしょう」と質問すると遺族は「昨日みたい。その当時思い出したら、言葉も出ない。ごめんね。」と答えました。

事故から56年が経ち、遺族の高齢化も進む中、参加者らは、事故の記憶の継承と平和への思いを新たにしていました。