沖縄の風景を描き続けて20年。今回、絵を通して街の歴史、当時の人々の生活を描き続ける男性を取材しました。
首里城公園調査展示係・久場まゆみさん「かなり航空写真に近い状態、1945年4月2日の首里城の様子が描かれていると思います」
首里城公園内に展示された2つの絵。沖縄戦の始まった1945年の首里城の姿と2015年今の姿が描かれています。
描いたのは、滋賀県守山市の職員・高山尚道さん。地域振興課で街のイメージ図を描く仕事をしています。
首里城は、歴史博物館で写真資料や古地図などで確認し、当時と今の様子を人々の暮らしが見えるように描きました。
高山尚道さん「昔は城内に国民学校、今では小学校ですね、小学校があったのは意外という風に思いました。さらに、今の正殿で、こちらはグランド、校庭だったわけです」
沖縄に通い初めて20年。県内各地の街の様子を描き続けてきた高山さん。その数はおよそ100点。いずれも心に残った景色です。
高山さん「そこでどういう人が、どういう人の動きが繰り広げられてるか。その環境をとどめておきたいと。それが絵の楽しみ方というか、まとめ方のひとつでもあります」
これは、15年程前に描いた国際通りです。
高山さん「11月ですかね。秋口に首里城祭というのが国際通りであると思うんですが、その状況を国際通りの雰囲気と一緒に書いた1枚なんです」「お店は入れ替わってるけど、ご覧のように建物とか雰囲気は全然変わってないと思います」
街や建物の魅力や表情を描いてきた高山さん。その絵のひとつに普天間基地があります。軍用機が飛び交い、連日ニュースで取り上げられるこの場所は、かつてどんな様子だったのか、絵でとどめておきたい。そんな思いが高山さんの心を捉えました。
高山さん「普天間基地の問題とか、ニュースっていうのは聞いてましたから、実際こうして見ている場所が基地になる前ってどんな景色だったのか。そういう事を想像してみるというのも大事なことかなと思いました」
かつて集落があり、人々の生活があった場所。宜野湾市史の記録を辿り、確認しながら、基地の中に消えた故郷を想像して描きました。やさしく吹く風やにおい、子ども達の声が聞こえてきそうです。
高山さん「この道が実はこの道なんですね。普天満宮があっちですから。ここに区画が実は一軒一軒の家、たとえばこの家とか、そういう形で当てはめていくという作業なんです」
戦争で多くの資料が焼失した中、途切れかけた記憶をつなぐ意義を感じています。
高山さん「昔の写真だとか資料ってもうなくなってしまっている。戦火に巻き込まれて。私はこんなことしかできないんだけれど、こんな事でひとつの歴史とどめておくことも大事なことなのかなと思ってます」