沖縄戦の被害者や遺族たちが国に謝罪と損害賠償を求めている裁判があります。その原告にアメリカから参加した女性がいました。彼女が子どもたちにも話せなかった壮絶な戦争体験、家族の沖縄の旅に密着しました。
新垣勝江ガーナーさん「私にとって、70年とは思えない、身近です、今も…私にあの戦争はくっついています。」
70年前の戦争の記憶を話すのはアメリカ・ジョージア州に住む新垣勝江ガーナーさん。彼女には壮絶な戦中、戦後の体験があります。
新垣勝江ガーナーさん「自分1人、みんな亡くなりましたね。自分1人になった。孤児ね。」
沖縄戦で両親を失い、7歳で戦争孤児となったガーナーさん。戦後は祖父母に育てられましたが貧困と苦労の連続でした。高校卒業後はアメリカ軍基地で働き、そこで知り合ったアメリカ軍人と結婚し、渡米します。ところが、ベトナム戦争に従軍していた夫は、戦地から帰ってきた後、戦争のトラウマから自ら命を絶ってしまいました。ガーナーさんは沖縄戦、そしてベトナム戦争と言う2つの戦争に翻弄されました。
新垣勝江ガーナーさん「人間として生まれて、人間じゃないような死に方して、人間として生まれて、人間じゃないような生き方をした。」
先月23日、法廷に立つために沖縄を訪れたガーナーさん、今回は長女のポーラさんと孫のジョナサンくんと一緒に里帰りしました。
新垣勝江ガーナーさん「(沖縄戦で)心に深い傷を負って、精神的にも深い傷を負っていました。子どもを傷つけたりしないようにね、そのために話さなかった。」
ガーナーさんは壮絶な体験を聞いた子どもたちがショックを受けるのではと心配し長い間、家族に戦争のことを話せずにいました。しかし戦後70年という月日のなかで、自身の体験を次の世代に伝えなければならないと思うようになりました。
ポーラさん「母はいつも心の中に、戦争の痛みを抱えて生きてきました。沖縄に帰るのもとても勇気がいることだと思います。辛い思いがあふれ出てしまうから。私たちは母の裁判を応援しています。」
ガーナーさんが原告として加わっている「沖縄戦訴訟」には沖縄戦の被害者や遺族など79人が原告に加わっています。ガーナーさんはこの訴訟をインターネットで知り原告に加わることを決めました。
瑞慶山茂弁護団長「国外に住んでいる沖縄戦の被害者が原告に加わったというのは、国際的にみても、この運動が広がっているという点があるんですね。そういう意味では、沖縄の原告に対する励みにもなっているんですね。」
先月27日の裁判で証言台に立ったガーナーさん、娘と孫の2人が見守るなか、壮絶な沖縄戦の体験を語りました。
「おばさんが艦砲射撃で首を飛ばされました。私を大切にしてくれたおばさんでとっても悲しかったです。母とはぐれた時のことなど戦争での出来事を毎日思い出します。」
ポーラさん「戦争の体験者は戦争のトラウマ体験や悲しい記憶と生きてきたからこそ、平和の希望を見つけられるのだと思う」
新垣勝江ガーナーさん「私はものすごく惨めな、悲惨な目に遭いました。国に謝罪してほしいです。そして償いをしてほしいです。」
これまで語れなかった沖縄戦の体験。彼女を決意させ、口を開かせたのは、子どもたちに戦争の悲惨さを伝えたい、平和な世界を築いてほしいと願う母、祖母としての強い思いでした。