1965年、沖縄の海兵隊3500人が上陸したダナン。枯れ葉剤散布の拠点ともされたことから、土壌汚染が深刻で、市内に5000人の被害者がいます。
私たちは被害者保護センターを訪ねました。市内3カ所のセンターには、ダウン症や知的障害のある子どもたちおよそ150人が通っています。
この日は、私たちの訪問に、子どもたちが歓迎のダンスを披露してくれました。ここでは、子どもたちに歌や踊り、読み書きを教えているほか、職業訓練を行っています。
教師として働くホアン・キム・ウエンさん。彼女自身も枯れ葉剤の被害者です。生まれつき重度の皮膚疾患を抱え子どものころは学校でも辛い思いをしました。
ホアン・キム・ウエンさん「6カ月後から肌が黄色くなり始め、体の調子がおかしくなり、肺や心臓が弱くなりました。」
医師から病気は「枯れ葉剤の影響」だと言われたときは、治らないのだと絶望しましたが、このセンターを訪れ、考えが変わりました。
ホアン・キム・ウエンさん「自分よりも重い障害を持っている人たちが歌ったり踊ったりしているのを見て、自分はまだ恵まれているのだと思いました。彼らと一緒に生きていこうと思いました。」
センターで電気修理を教えるグエン・ゴック・フオンさん。フオンさんは小学2年までしか学校に通えませんでしたが、電気店で働き、独学で電気修理を学びました。今は教師として、障害を持った子どもたちが自分の力で生きていけるよう支援することが生きがいだと話します。
グエン・ゴック・フオンさん「子どもたちが自立して生活でき、家族にも迷惑をかけず、自分たちの力で生きていけるように支援したいです。」
今回私たちはベトナムでたくさんの被害者に会い、話を聞きました。中には自身の障害をカメラの前で見せる女性もいました。なぜ辛い取材に応えてくれるのか、尋ねたところ、彼らの多くはこう訴えました。「枯れ葉剤問題は終わっていない、被害者を忘れないでほしい」と。
ダナン枯れ葉剤被害者の会 グエン・ティ・ヒエン会長「戦争中に被害を受けたらならまだしも、環境汚染が原因で戦後も被害者が出続けていることが非常に悲しく残念です。」
ホアン・キム・ウエンさん「枯れ葉剤が撒かれたとき、植物は死にました。そこに住み続けた人たちは、汚染された環境に触れ、水を飲み、食べ、暮らしてきたことで被害を受けました。枯れ葉剤の問題は、戦争時代の話で終わっていないのです。」
終わってもなお、人々を苦しめ続ける戦争。かつてベトナム戦争の前線基地とされた沖縄も今年、戦後70年となります。互いに戦争の傷を受けた沖縄とベトナムは、つながることでこの悲劇を繰り返してはならないと伝えていく責任があります。