終戦40年を迎えたベトナム。およそ70年の植民地時代を経験しているとあって、街には西洋建築の建物が並び、この時期は赤と黄色の国旗が掲げられて祝賀ムードが漂っていました。
島袋記者「ここはホーチミン市にある統一会堂です。サイゴン政権時代に大統領府として使われていいました。1975年4月30日、ここが陥落したことを受けて、長いベトナム戦争が終わりました。」
冷戦を背景に旧ソ連、中国などの支援を受けた北と、アメリカの傀儡だった南に分かれて泥沼化したベトナム戦争。そこには沖縄も深く関わっていました。沖縄なくしてベトナム戦争は続けられないと言われたように、 沖縄は当時アメリカ軍の前線基地にされていました。
1965年には嘉手納基地を飛び立った「B52爆撃機」がベトナムで空爆を開始し、一般住民も巻き込んだ無差別の殺戮が展開されました。10年以上で戦没者は300万人以上に上ると言われています。
終戦記念日の4月30日、ベトナムでは盛大な式典が開かれました。この戦争はベトナム国民にとって、分断された南北の統一と祖国の独立をかけた戦い、そしてこの日は、アジアの小さな国が圧倒的な軍事力を持つアメリカを相手に、勝利を収めた日なのです。グエン・タン・ズン・首相は「大きな仕事をやり遂げた」と強調しました。
グエン・タン・ズン・首相「1975年の勝利は、ベトナムの歴史にとって忘れられないものでした。」
しかしこの国は今、新たな課題に直面しています。南シナ海の領土問題を巡り、中国とのにらみ合いが続く中、かつての敵・アメリカとの協力関係を強化しているのです。
グエン・タン・ズン・首相「過去に蓋をして他国との協力関係を強化します。主権と独立を守り、内政干渉し合わない平和な社会を目指します。」
過去に蓋をするー。大国の脅威に晒され続けているベトナムの苦悩が見えてきます。そしてその姿は、日米両政府に翻弄される沖縄と似ているように見えます。
私たちは今回、ある人物を訪ねました。元国家副主席のグエン・ティ・ビン氏。ベトナム戦争を終わらせたパリ和平会議に北側の代表として参加し、「アオザイの闘士」と呼ばれました。現在はベトナム枯れ葉剤被害者の会の名誉会長を務め、国際社会に被害者たちの救済を訴えています。
グエン・ティ・ビン氏「戦争があまりにも長かったため、問題がたくさん残っています。枯れ葉剤問題も解決のめどは立っていません。」
1961年から71年にかけて、アメリカ軍は敵が隠れている森を破壊し、兵士たちの食糧源を断とうと、ベトナムに8000万リットルもの枯れ葉剤をまきました。今も300万人が後遺症に苦しめられています。
グエン・ティ・ビン氏「化学者の誰一人として、いつまで影響が続くのか予測できないのです。」
自身が目指した国の統一、独立は果たされましたが、終わりの見えない戦争の被害が、祖国の発展に影を落としているのです。終戦40年のベトナム。戦争の犠牲と貧しさを経験した国民の願いは、沖縄の人たちの思いと重なります。
ベトナムの男性「平和で子どもたちが学校に行けて、経済的にも安定した社会にしていきたい。」
ベトナムの男性「40年の間にたくさんのことが変化しましたが、これから望むことは、孫たち、普通の人たちが楽しく安心して暮らせる、一日一日社会が良くなっていくことを望んでいます。」
戦争の記憶が遠のき、新たな火種がくすぶっている中で、過去の戦争から何を教訓にするのかが問われています。