※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
15-05-15-05-01

山内繁雄さんです。3年前に退職されましたが、宜野湾市役所の基地政策部長でした。山内さんの感じている「復帰と沖縄の今」です。

山内繁雄さん。3年前まで、宜野湾市で基地政策部長を務めていました。山内さんが市役所に入ったのは日本復帰直前。普天間基地の隣で生まれ育った山内さんにとって基地は生活に密接に関わる問題でした。

アメリカ軍統治下にあった沖縄では、兵士が起こした事件や事故に、理不尽な無罪判決が相次ぎました。当時の沖縄の人々の望みは、そうした理不尽のない、「基地のない沖縄」としての本土復帰でした。しかし現実には、基地はそのまま残ったのです。 

Q:その復帰の瞬間は祝う気持ちにはなれなかった?

山内繁雄さん「じゃなかったですね、沖縄県民の欲求は、即時無条件返還なんですよ」「しかし現実的には本土並み返還にもなってないですよね。」

市役所の若手職員として過ごした復帰前後の沖縄。山内さんは、本土並みという言葉とは程遠い基地負担の増加を肌で感じながら、基地問題に取り組みました。

現役時代の記憶として今も鮮明に残るのが、2004年8月の沖国大ヘリ墜落事故。当時、基地政策部次長だった山内さんは、事故当日、普天間基地の早期返還などを訴えて訪米した当時の伊波市長の訪米報告会で市の中央公民館にいました。

山内繁雄さん「報告会をしている最中にヘリが落ちてるんですね。」「そして自分の事務所に座ってテーブルについて後ろを見ると、もうもうと煙が立ってるんです。あれにはびっくりしましたね。」

事故から11年近く経った現在も変わらない普天間基地の危険性。「危険性の除去」という当然の要求を、辺野古への新基地建設と引き換えにするのはおかしいと山内さんは政府を批判します。山内繁雄さん「70年になるんですよね。戦後ね、そういうような状況で、また改めて県内で新しい基地を造るのかと」

15-05-15-05-02

山内さんは、あす、普天間基地沿いを歩く平和行進に参加するつもりです。そして若い人たちにも、自分たちの住む島に、これ以上基地はいらないという声をあげてほしいといいます。

山内繁雄さん「普通の草の根の運動ですから、参加をしてね、どんな状況であるということは自分で体感してもいいんじゃないでしょうか。」

山内さんは、若い人に対して「平和行進に参加するのは勇気がいること」だけれども、こういう機会に行動して現実を見て、沖縄の将来を考えてほしいと話していました。