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自分たちの過去を知るための遺跡調査。いかなる建造物を作るとしても、そこに遺跡がある場合は文化財保護法によって調査が義務づけられています。しかし沖縄においては常に基地の存在がその障害になってきました。

新たな施設の建設など、特別の機会を捕らえない限り、なかなか実現しない基地の中の埋蔵文化財調査。現在着手しようとしているキャンプ・シュワブの調査もその一つですが、それが公正に行われるかどうかをめぐって混乱が生じています。基地と文化財調査のあり方について考えます。

1000年前に、喜界島に大宰府の出先機関があった。新聞の一面をにぎわしたこの考古学の大ニュースは奄美大島の隣、喜界島の城久(ぐすく)遺跡からもたらされました。

狩猟・採取の生活とは一線を画し、土師器や中国の陶磁器などを使う一団が喜界島にいたことを示しており、7世紀から10世紀の研究上の空白の時代を埋める大発見と言われます。

続いて先週、県内の発掘現場からも驚くべき出土品が登場しました。伊平屋島近くの無人島・具志川島から、ほかに例のない3500年前の縄文時代の貝の装飾品が出土したのです。研究者を驚かせたのは、精巧な透かし彫りが施されていたこと。

安里嗣淳さん「琉球列島の先史時代における貝器文化の豊かさ、多彩さを示した。擦り切り技術の高さ、デザイン力を感じる」

埋蔵文化財センターの館長も勤めた考古学者の安里さんは、前代未聞の装身具の発見に興奮を隠せない様子。この遺跡からは、沖縄では初めて貝の腕輪をした埋葬人骨が出土するなど様々な発見があり、さらに5千年前の地層にも遺物があることがわかっていて、今後の調査に大きな期待がかかっています

沖縄本島北部から奄美にかけてのこの地域では、今、まさに考古学的な発見が相次いでいます。

古宇利大橋の建設のあわせて始まった大堂原遺跡の発掘は、当初3年の予定が6年にもなってしまいました。試掘調査ではせいぜい3千年前の遺跡と予想して本調査に入ったところ、7〜8千年前の沖縄最古土器がみつかったのです。

名護市教育委員会文化財係・比嘉 久さん「予想したものが出土したら本当に感動するが、予想しなかったものも出てきて、一体これは何かと資料整理をして、重要性が見えてきた時の感動は大きい」

比嘉さんは名護市の教育委員会で文化財調査を担当。多くの遺跡の発掘に携わってきました。名護市は文化財保護の分野に熱心な自治体で、考古学分野でも目覚しい成果を挙げてきました。

今回、問題になっている基地の移設に伴うキャンプ・シュワブ内の遺跡についても、現地に入って調査ができる千載一遇のチャンスと期待する声は内部にもあります。

しかし、現在わかっているのは25年程前のほんの数日の調査で確認された4箇所だけ。それ以外の場所も含めて、一度は全体的な調査を当然すべきですが、今回防衛施設局の予算で調査することになっているのは、兵舎の移転先と重なるほんの一部だけです。

そのほかはいつ調査するのか。もしも先に兵舎を移転してから、滑走路の下に重要な遺跡が見つかった場合はどうするのかなど、全体の計画は教育委員会にも明らかにされていません。

市民団体が強く危惧しているのはこの部分です。一部だけ発掘して「文化財調査は済んだ」と片付けられはしないか、公正な調査をゆがめる力が現場に加わるのではないか。県民の財産をきちんと公開しながら調査を進めてほしいという要求にいまだに明確な答えがないのです。

比嘉さん「(Q:調査に反対する人たちについて)基地建設につながるのではと考えるのは当然。きちんとやりたい。県民に反対されながらやるのはつらい」

埋蔵文化財の場合、まず地表から幾つかの遺物を拾って遺跡と認定する「表面踏査」、一部を試しに掘ってみて、生活の跡を刻んだ地層「包含層」を確認して時代と広がりを推定する「試掘調査」、そして本調査が必要となれば「全面調査」に入り、ここで初めて専門委員会が作られて学者も参加します。

名護市の教育委員会は表面踏査は済んだとして、試掘調査が必要と言う判断をしています。

比嘉さん「(試掘で)遺跡があった時、保存してくださいとアメリカ軍が聞いてくれればいいが、『記録だけ保存』と言われたら、これはもう基地建設を目的とした作業となる」

安里さんは多くの基地がらみの調査を経験し、その難しさをよく知っています。作業時間を限定されたり、その日のうちに埋め戻すよう指示されたりとジレンマを感じつつも、嘉手納基地の排水溝工事では作業をとめさせ、沖縄最古の爪形文土器を大量に掘り出した経験もあります。

安里さん「出てきたときはたった3片のカケラでした。たった3片で工事を待ってください、掘る必要があると。矢板も打ち込んで水が入り込まないようにした。2千万円の工事をたった3片の土器で我々はさせた。それで土器が出なかったら、首が飛ぶかもしれなかった。でもちゃんと出た。ものすごい量で」

文化財保護法が適用されなかった時代から、沖縄の研究者はアメリカ軍が施設を作ると聞いては駆けつけ、防衛施設局に立会いを依頼して、ようやく今のようにあたりまえの調査ができるまでに漕ぎ着けました。そんな仲間たちが、平和を求める市民と防衛施設局の板ばさみになっているのは見過ごせないと警鐘を鳴らします。

安里さん「文化財は国民共有の財産である。次に導き出されるのは文化財公開の原則。公開しない、人に見せないというのは断じてやってはいけない。調査そのものは断固、アカデミズムを貫き通してやってほしい。それは当事者だけに求めるものではなく、それができるような環境を役所の中で、あるいは一般市民がつくってあげる。私はそれが今とても必要なことだと思う」