きょうの特集はカメラマンレポート。どなたの家にもある、艶やかな琉球人形のノスタルジーをお送りします。戦後とともに歩んだ人形作りの歴史、その作り手の思い。贈られた人形を大切に思う持ち主など、琉球人形にまつわるさまざまなエピソードを、新垣カメラマンが描き出します。
鮮やかな紅型に身を包み、琉球王朝時代を彷彿とさせるのは琉球人形です。私が幼い頃、あちらこちらのうちに飾られていた琉球人形、その成り立ちを知りたくてカメラを向けました。
糸満市に工房を構える仲宗根久子さん(78)琉球人形を手掛ける数少ない職人のひとりです。仲宗根さんが人形作りを始めたのは戦後間もない頃でした。
仲宗根久子さん「戦後生地も何も無いものですからね。アメリカのパラシュート、端切れ、お母さんの着物がありますよね、あれをつぶして作った。そういう中から琉球人形は生まれてきたんですよね。」
最初は趣味で人形教室に通っていた仲宗根さん。その腕とセンスが認められ、本土で本格的に日本人形を学ぶよう勧められました。
仲宗根久子さん「先生の所に仕事場を抜けては行ってるうちに先生が、あんた、そんなに人形が好きだったら内地に行きなさいと。内地に行けば習えるのかと思って。」
ひと筆ひと筆、丁寧に顔を仕上げていきます。目を大きく描くのが仲宗根さんのこだわり。本土で学んだ日本人形に沖縄らしさを取り込みました。仲宗根さんには忘れられない時代があります。沖縄が本土復帰して間もなく、海洋博で賑わっていたころ。多くの女性に人形作りを教え、その生活を支えました。
仲宗根久子さん「海洋博になったらいくら作っても足りない。1000個出る時もあったんじゃないかな、一日でよ。旦那さんも奥さんの手伝いして。結婚式、誕生日、やまと、外国に贈るにも琉球人形しかなかったわけよ。」
ところで人形ケースの中にあるこのコップ。実は私、子どものころから疑問を持っていました。いったいなんのためにあるのでしょう。
仲宗根久子さん「ケースの中に、小さいコップで水が入るんですね。人形をいつまでも綺麗にするために、水を入れると乾燥もしないし、色焼けもしないから。」
人形にお水、長く飾れるようにという工夫だったのですね。
仲宗根久子さん「真心込めて素晴らしい人形ができますようにお願いします。魂を伝えるって言うんですかね。普通のおもちゃ、お土産品と考えたらだめなんです。物は言わないけどね、語ってくれているんですよ。思いを込めて、きょうも人形を作るのでよろしくお願いします。奇麗な人形でこの家庭を喜ばせてくださいと。」
南風原町の富本幸子さん。(69)この琉球人形は32年前に、富本さんの元にやってきました。以来、大切に飾っています。富本さんは、琉球人形には格別の思いがあります。その姿をみるたびに母親の言葉を思い出すからです。
富本幸子さん。「うちには嫁に行かない娘がいるので、是非とも夫婦人形を貰う事によって、良い縁談がまとまるかもしれないって言う事で、その思いが実って間もなくね結婚する事が出来たんですけど。人形の思いって言うのは直接母親の事を思い出すと言うのかな。」
思い出がしみこむ琉球人形。それぞれの琉球人形にそれぞれの人の物語がある。そんな人形を今後も残していきたい仲宗根さんは今、後継者の育成に力を入れています。
仲宗根久子さん「伝統を残しながら持っている技術をどうしても広げたいの、後継者にね、琉球人形をもっともっと力入れてね。それだけが夢楽しみ。いつでもね、あの世へ逝って良いくらい。」
魂がこもった琉球人形。自分の手元を離れて行った人形たちが、人々に幸せを運んでくれる事を仲宗根さんは願っています。