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佐次田崇さん「これはボーリング調査のやぐらのパイプに刺さった後の傷ですね。穴が開いていますよ。漁船でやぐらを取り囲んで守るという感じでやっていましたので。」

船体に開いた穴。これは10年前、ふるさとの海を守ろうと闘った証です。しかしその命の海にはいま毎日冷たい鉄の棒が突きたてられています。キャンプシュワブのゲート前。この日宜野座村から自転車で駆けつけた男性がいました。佐次田崇さん。宜野座の漁師です。

佐次田さんはかつて基地建設を止めるため海に出た経験があります。2004年、政府が辺野古で最初にボーリング調査を始めようとしたとき、反対する人たちのカヌーやボートを支援しようと近くの漁師たちが阻止行動に加わりました。その中心になったのが佐次田さんたち宜野座の漁師。彼らの強い抵抗を受け、政府は調査断念に追い込まれました。

佐次田崇さん「カヌー隊だけで頑張ってやってきたものですから、私は頑張れよということで行ったんですけどね。船を4隻、ボーリングやぐらの横を取り囲んで、調査の船が入らないように、朝から晩まで守っていましたけどね。」

しかし今回は当時と全く状況が違っていました。政府は調査に先立ち、海に立ち入り禁止水域を決め、巨大なフロートを設置したのです。さらに

島尻安伊子参院議員「工事業者、そして反対活動家の双方に、不慮の事故が起きないようにするためにも、海上保安庁、警察の積極的な対応が必要。」

今年2月、参議院の予算委員会で島尻議員が述べたように、辺野古の海には何十隻もの警戒船や海上保安庁の船が集結。現場に近づこうとするカヌーを追いかけまわしたり、身柄を取り押さえたりして、反対行動に揺さぶりをかけたのです。

佐次田崇さん「当時だったらまだ止められるという気持ちがありましたからね。今は行ったら、ちょっと何かしたら逮捕されるとか。」

しかし佐次田さんを悩ませたのはそれだけではありませんでした。防衛局が雇った警戒船は、名護や金武、そして宜野座の漁師仲間だったのです。

佐次田崇さん「警戒船の講習受けなさいって、そういう話が来たときに、断りましたけど、もう駄目だなと思いました。やっぱりみんなもう決まったらしょうがないから、そういう仕事でもやらんといかんという感じですよね。そういうところに反対して、仲間同士でいがみ合いたくないです。」

ゲート前でマイクを握った佐次田さん、苦しい胸中を明かしました。

佐次田崇さん「モズクの養殖をやっていたんですけど、私の漁場は宜野座村の潟原。名護の境界になるんですね。それで埋め立てとか、ボーリング調査が始まったら確実に影響が出るだろうということで、今年からモズク養殖もやめました。皆さん毎日頑張って、反対運動やっていますので、知らないふりはできないと思って。海からは出られませんので、陸から皆さんを激励しようと思ってきましたので。」

防衛局は警戒船業務にあたった漁師に破格の日当を出しています。しかし、だからといって漁師たちが基地建設を望んで仕事を引き受けているわけではありません。話を聞いた複数の漁師からは国が進めていることだから止められないといった諦めや、家族を養っていくためには仕方がないという苦しい声も聞こえてきました。

一度は漁師をやめ、船を売ることも考えていた佐次田さんですが、それはできなかったといいます。

佐次田崇さん「一時は売って、海を見るのは辛いですからね、手を引こうと思ったんですが、沖縄に住んでいて、海と関わりなしに生きていくということは無理だと思うんですよ。次の埋め立て始まる前に、阻止できることがあれば、その時はもう一度船を出していきたいと思います。」

海のそばで生まれ、海を糧にして生きてきた漁師たち。基地建設は彼らのきずなや生き方までも揺さぶっています。