物事のそもそもつまりを分かりやすくお伝えする「そもつま」です。今日は、心と体の性別が一致しない「性同あ一性障害」について、山本さんです。戸籍の性別変更が可能になって、きょうで10年を迎えたということですが…
山本記者「はい、そもそも、性同一性障害はどういうことか例えば、私は女性の体、女性の心で今何の疑いもなく過ごしている状態ですが、当事者は、心の状態と反対の性別の体がついて生まれているというイメージだそうです。心と体の違和感を本来あるべき状態に戻していく。これが性別適合のための治療です。では現在日本で戸籍を変更した人はというとこの10年で、全国で4353人。そのうち県内は83人でした。当事者や研究者が集まる性同一性障害学会が、今回はじめて沖縄で開催されました。」
今年3月沖縄で初めて開かれた、全国性同一性障害学会。
澤岻良心さん「心と体の不一致。みなさんはどこまで想像できますか?異性の体の着ぐるみを強制的に着せられて生活している感じといえば、少しは想像しやすいでしょうか?その着ぐるみは、数時間なら、興味、好奇心の遊び感覚で過ごせるかもしれませんが、それが一生と考えるとどうでしょうか?」
寒竹葉月さん「家族や友達にも相談できずに孤独だった。治療をうけると寿命が短くなってしまうかもしれないこと、家族に縁をきられてしまうかもしれないこと、それでも踏み切れたのは、本来の姿を偽って生きていたくない。不幸せな思いをして長生きするより、幸せだと思える短命の方がいいと思えたからだ。」
2日間にわたって行われた学会では、県内外の当事者が自分の経験と率直な思いを伝えました。県内の性同一性障害治療、第一人者の山本和義先生は、家族の理解と支援が一番重要と、訴えました。
山本和義先生「当事者といわれる方がたがこんなにも元気で、幸せでパートナーももって別に不幸な人生じゃないよってことをよくみて、明るい気持ちで自分のこどもあるいは家族を応援してほしいな。」
澤岻良心さん「一歩踏み出すとこで世界がかわるかもしれないというきっかけを、僕は自分の性同一性障害という人生を通してそれを伝えていきたい。」
1981年、澤岻家の長女として生まれた良心さん。幼少期から性別の違和感に悩み、2006年治療を開始。2008年に戸籍の性別変更を済ませ、その後さおりさんと出会い結婚しました。
山本記者「良心さんは、いつか子どもを持ちたいと生殖医療の進んでいるアメリカに渡りました。その時、自らの卵子を採卵し、精子パンクを利用して受精。3つの受精卵を凍結保存しました。そして去年、その受精卵をさおりさんの子宮に移植しようと2人でアメリカに渡ったのです。」
澤岻夫婦「つきましたロサンゼルス」
さくらライフ・アソシエイツ清水直子代表「これは、卵を、凍らせた卵を、これから移植しますよ、してくださいというサイン。」
清水直子代表「リラックスしてくださいね。一個、受精卵です。すごくいい移植だったそうです。」
澤岻さおりさん「あとはかえってゆっくり育てるだけだ。」
ですが、2人の思いは届きませんでした。
澤岻さおりさん「今回結果がダメだったけど、自分の遺伝子が私のお腹に入っただけでもうれしかったって言ってくれたんで、それがまた頑張ろうって気持ちにさせてくれた。」
しかし、これまでは、生物学的には女性である変更者が男性としての生殖機能を持っていないことは明らかとされ、婚姻関係にあったとしても、実の親子関係を認められることはありませんでした。
しかし、去年12月、朗報が舞い込みます。これまで認められなかったはずの当事者を、最高裁は、実の父親として認めました。これをきっかけに、これまで却下されてきた当事者の元に戸籍の訂正通知全国で49人に届きました。
澤岻さおりさん「(心音を聴いて)すごくトクトクしている。」
澤岻良心さん「どんな夫婦でも、命を望んだり、家族を望んだりしてもいい。摘出子の件にしても、家族になりたいって一人の人の思いがあって、そこから切り開いてきた道だと思うから、希望をたくさんのひとに持ってほしいし、いろんな家族の形があるってことを伝えたい。」
草柳アナウンサー「生殖補助医療で生まれた子どもは、戸籍上どうなるんですか?」
山本記者「はい、最高裁の判決以降、血縁関係はなくても事実上の子どもとしても戸籍上は認められたんですが、その親子関係を明らかにする法律はまだありません。戸籍の性別変更が認められて10年、結婚した当事者たちは次の段階として、子どもを持とうとしています。」
倉持アナウンサー「まさにいま、法整備が急がれる、次の段階に来ているんですね。」
山本記者「そして法の整備とともに、私たち1人1人が理解をもって当事者と接すること、そういう環境作りも必要とされているのでは無いでしょうか。」