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続く基地被害 伊江島の男性の思い 

沖縄のこうした歴史の中でも、アメリカ軍による強制移住や土地の強制接収などの経験を持つ伊江島で思いを聞きました。

平安山良有さんは「政府が記念すべき日だというのが私たちにはその反対であるわけです。政府のやり方には本当にもう怒りというのかそれがあります」と話します。

伊江島の「反戦地主」として、長年土地使用契約の拒否を続けてきた平安山良有さん。

続く基地被害 伊江島の男性の思い

1955年、アメリカからの独立を果たしていた本土で高度経済成長が始まった頃、平安山さんたち伊江島の住民の畑はアメリカ軍の基地建設のため強制的に取り上げられていました。

「戦前うちのあったところは演習場内金網の中。色んなもの自分で作って生活してましたから大変でした」と当時を振り返ります。

生きる術を奪われた平安山さんたち。生きる為、フェンスの向こうに忍び込み、砲撃の合間をぬっては土地を一から耕したり、不発弾などを拾って売る生活を余儀なくされたといい「けが人といえばだいぶいます。同じ年ぐらいの人もいますけど、あまり話したくないですね。足もみんな吹っ飛んでしまって」と話します。

続く基地被害 伊江島の男性の思い

4月17日、平安山さんにこうした時代を思い起こさせる出来事が起きました。夜間訓練中のアメリカ軍機が重さ200キロのドラム缶4本を落としていったのです。

場所は平安山さんの住む集落からわずか500メートルほどの近さ。事故の起きる2時間半ほど前までおよそ60人が作業していた工事現場。平安山さんは「米軍はわざとしたのかとも思います。復帰しても同じです。何も変わっていない」と話します。

今もアメリカ軍の下に置き去りにされた沖縄。平安山さんは政府が「主権回復」を謳うことで、こうした現状から人々の目を逸らさせ、今年式典を開催しない間にも次の一手を繰り出そうとしているのではと危惧し「戦争を知らない人が多くなり、これまで日本がやってきたことは、でなかったことを証明しようと。かえって次の準備をしてるんじゃないかという感じです」と話していました。