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62年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効しました。これにより、日本はアメリカ軍の占領から独立し、それと引き換えに沖縄はアメリカ軍施政権下おかれました。以来、過重な基地負担の現状は今に続いています。
不屈館の内村千尋さんは「これが父が残した本の中から出てきたんですけど、解説平和条約という本」と話します。
62年前の4月28日に発効された「サンフランシスコ講和条約」。アメリカからの独立を讃える当時の吉田茂首相の文章に、条約は「不公正」「無効にすべき」と書き込んだのは、内村さんの父であり、当時、人権運動の先頭でアメリカ軍と戦った瀬長亀次郎さんでした。
内村千尋さんは「怒りでもって書いたのかなという気がします。こんな条約で沖縄は苦しんでいるんだという思いが常にあったと思いますので」と話します。
沖縄を本土から切り離した「講和条約」。これにより沖縄の人々は憲法の外に置かれ、アメリカ軍の事件や事故で人権を踏みにじられてきたことに、瀬長さんは「この条約は屈辱以外の何物でもない」と憤慨していたのです。
そしてこの講和条約と同時に発効されたのが、日本国内へのアメリカ軍の駐留を認める「日米安保条約」でした。
戦後69年がたつ今でも、日米安保の名のものとに広大な基地を押し付けられている沖縄の現状。そこに「主権はない」と内村さんはいいます。
内村千尋さんは「アメリカに堂々と物を言える国にならないと、私は独立国だとは言えないと思う。安保条約があるから守られていると思っている人もいるので、感じないかもしれないかもしれないけど、沖縄のこの現実をみたらとても独立国とは言えない」と話していました。