今年もやってきた鉄人レース、宮古島トライアスロン。30回目となった今回も、出場する人、支える人、それぞれの思いが溢れていました。
スイム3キロ!バイク155キロ!ラン42.195キロ!総距離200.195キロの鉄人レース!第30回全日本トライアスロン宮古島大会!
過去最多の応募数(3657人)の中から選ばれた1531人が挑んだ大会も今年で30年。選手たちとともに30年、大会を支えたのはボランティアたち。
大会前日、選手の食糧の準備をするボランティアスタッフ達を見つめているのは堀川政憲さん。これまで、選手のサポートのため各所に設置されているエイドステーションでボランティアで活動をしてきました。
堀川政憲さん「何年もボランティアをするとキツイという声が出るんですけど、本番が近付いてくると宮古島の人はぐっと盛り上がってきて。それがないと(この大会は)30回まで来られなかったんじゃないかと思います」
堀川さんのいた食糧部は、毎年およそ70~80人のスタッフが選手のために何度も打ち合わせを重ね、当日も早朝5時から準備をするなど、その仕事は選手並みにハードなもの。30回の節目となる今大会、堀川さんは今度は選手としてその働きを見ることになります。
堀川さん「俺も楽しむから君たちも楽しめよっていうそれだけが願いですね。僕が走ることによって知り合い(スタッフ)がどれだけ盛り上がってくれるのかが、一つ目標であり、楽しみです」
選手を支え、レースを楽しませてくれる人たちを節目の30回は自分が選手として楽しませたい。その思いを胸に堀川さんは初挑戦の舞台へと飛び出していきました。
一方、毎年変わらないのは選手たちを元気づける(?)沿道の応援。その中に大会とともに歴史を重ねる家族の姿が。
民宿・津嘉山荘。QABでも12年前に一度ご紹介した名物お母さん、津嘉山千代さんを慕い、毎年選手たちが集まるこの民宿にも、ある変化がありました。
津嘉山千代さん「新しいのは息子夫婦につないだ、後継者ができたこと」
宿の切り盛りもするのは千代さんの息子・健さん夫婦。健さんはこの宿で選手を応援し続ける母・千代さんの姿を見て、自然と、この津嘉山荘の伝統を継いでいたといいます。
津嘉山健さん「やっぱりやめられないよね(そこは血がつながっている感じがしますか?)そう言われたら、しょうがないのかな~。あまり嬉しくないけど(笑)1。みんなのためにも、少しながらの力を一生懸命がんばりたい」
初出場の堀川さん。午後2時48分、最終種目・ランをスタート。制限時間8時半までのゴールをめざし、42.195キロの道のりを力強く走り始めます。
しかし、この日、選手たちを苦しめたのが、暑さ。照りつける太陽のもと、宮古島の最高気温は26度を超え、ランナーたちの体力を奪っていきます。
苦しむランナーが多い中、堀川さんはランの最初のエイドステーションを余裕の笑顔で通過します。
ところがエイドステーションを過ぎた後…。堀川さんは歩き始めてしまいます。ボランティアや沿道の応援の前では笑顔でしたが、体力はすでにぎりぎり。
初めて知る鉄人レースの厳しさ。一方で改めて知る、ボランティアや応援の有難さがありました。
堀川さん「ボランティアがいないとできないし。僕らを救ってくれるし。最高だよ、もう最高」
エイドステーションで力をもらう堀川さんは、知り合いのランナーとすれ違う時、沿道の応援の前を通過する時、笑顔を貫き通します。しかし、体力も制限時間もぎりぎり。あたりも徐々に暗くなる中、前を目指します。
ラン30キロ地点の関門。制限時間7時15分に間に合わず。堀川さんの初挑戦は合計188キロ、ここで幕を閉じました。
堀川さん「感謝感謝だね、パワーももらったし。自分もパワーを与えたつもりでいるし、それだからやめられないんだろうな。ボランティアもやめられないし、選手もやめられないし。30回、宮古島トライアスロンができたのもボランティアをやる楽しみ、出場する楽しみがずっとつながってきて、この大会があるんじゃないかな。来年はもっとパワーをつけて、もっと皆さんと一緒に楽しみたいと思っています」
200キロを走り切りゴールできた選手、今回は惜しくも道半ばで終えてしまった選手、そして周りで選手たちを懸命に支える人たち。それぞれの思いが詰まった宮古島トライアスロン。積み重ねた30回は、またさらにこれからへとつながっていきます。