うるま市あげなの路地が映る一冊の本。表紙をめくると・・・・
『移動中に、ふと見つけた看板やどうしても気になっている入口。沖縄県のうるま市にはそんな、みちくさをしたくなるお店がたくさんありました』
個性的な文章で始まるこの本。うるま市の無料情報誌です。この情報誌を作ったのは、うるま市にデザイン事務所を構える東京都出身の河野哲昌さん・こずえさん夫妻。
河野哲昌さん「うるま市を全然知らなかったので、歩いていてこの店面白いよねとか何個かあったけど全然取り上げられていないよねっていうのがあった。」
河野こずえさん「読谷のあそこがおいしいよねとか北中城のあそこはいいよねとか聞いて、うるま市にもあるんだけどっていう」
この日はうるま市川崎にある陶房へ取材に訪れました。
河野哲昌さん「土の原材料も自分たちで?だいたいここから30分くらいの石川から恩納村に掛けてその辺りで土は採ってきます。足で蹴る人はどのくらいいるんですか?少ないと思いますけど」
インタビュー役は哲昌さん。そして、その横で一生懸命シャッターを切るこずえさん。
河野こずえさん「こっちにくるまでカメラのマニュアルとか読んだことがなくて実際みちくさうるまを作るってなって勉強したんですけどまだまだですね」
河野さん夫妻はうるま市でもなかなか知られていないお店や地域でひっそりと育まれている文化を外からの視点で着目し、その魅力を発信しています。うるま市に生まれの陶芸家・山田義力さん。山田さんの目に映る河野さん達の活動は・・。
山田さん「自分なんかいつも見ていた場所が、河野さんのフィルター通してみたところがかっこいいというかそういう見方で見れてすごく良かったです」
地元の人からも斬新に映る「みちくさうるま」は、去年、日本フリーペーパー大賞で優秀賞を受賞しました。河野さん夫妻が3人の子どもを連れて、うるま市に移り住んだのは2011年。東日本大震災がきっかけでした。
河野こずえさん「不確かな情報ばかりが飛び交っていて、判断基準というのが自分たちで判断するしかないと調べても調べても正しい答えが見えない中で普通に子育てをしたい何も考えずに」
震災のショックと原発事故への不安。河野さん夫妻は都会の生活を捨て、この地で1から畑を耕し生活することを決めました。しかし・・・。
河野こずえさん「最初の1年間は貯金を切り崩したり、職業訓練に通ったりなんとかやりくりをして。やっぱりけがはなくでも震災はずっと1年間は抜けきれなかった思いがあって、被災者の1人だったりなかなかその止まってしまった時間から動くことが出来なかったんですけど」
止まってしまった生活は、「みちくさうるま」の誕生と共に動き始めました。
河野哲昌さん「避難とかいう感覚ではないその考えでやっていると前に進まないというか、できることをやるしかない」
河野さん夫妻は今、イベントのポスターや観光地の土産品のデザインなど、うるま市を拠点に活動を広げています。震災からまもなく3年。ここには河野さん一家が避難者ではなくうるま市民として生きる姿がありました。
河野哲昌さん「ちょっと事務所が手狭になったからどっか探そうかなと言うと、うるま市出ていくんですかとみんなに言われる。(それだけ必要とされていると?)ありがたいですねそういう声をいただけるというのは」
河野こずえさん「最初に1年はうるま市の方に助けていただいた。そのために自分たちができることでお返ししていくことが私たちのできること」