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先月、桜坂劇場に集まったのは作家で写真家の椎名誠さんに、復帰当時、朝日新聞の特派員として筑紫哲也さんと取材を重ねた東松照明さん。日本を代表する写真家たちです。

「第0回琉球フォトセッション」。写真と音楽という新たな試み。しかし、これにはある思いが込められていました。

垂見さん「どうして作ったのか、東松先生に触発されて古い写真を残そうと次の世代に伝えていこうと」

『写真家が死んだらネガはゴミになる』。大切な写真を沖縄の歴史として残そう、東松さんの呼びかけに沖縄を愛する写真家が立ち上がったのです。

山田さん「今日は東松・椎名両先生がおいでいただき、会場を盛り上げていただきました・」

そこで会長を務めるのが、山田實さん88歳。

山田さんは県内で最年長の現役カメラマン。今でも年に6,7回の展示会に出展する一方で、講演会もこなしています。

東松さん「いやー今日は面白かった。昔の全然知らない写真ばかりで」

山田さん「先生とは古いお付き合いでね」

1941年から東京明治大学で学び、その後軍に召集、山田さんはシベリアで捕虜なります。そして1952年、やっとの思いでふるさと沖縄に帰ってきました。

当時、渾沌としていた沖縄。写真家たちはデモ隊にアメリカ軍基地、時代の象徴を撮り続けました。しかし、山田さんは違います。

山田さんが夢中でシャッターを切ったその先には、いつも子どもたちがいました。

山田さん「焼け野原になった沖縄を再建するのはこの子どもたちだなと。我々の時代は終わって、子どもに対して希望を抱くしかなかった」

焦土と化し、荒廃した故郷を駆け回り、子どもたちを撮り続けました。ネガは数万枚に及びます。そこで山田さんのお気に入りの写真を見せてもらいました。

山田さん「糸満の門中墓を撮りにいって、疲れたから道の石に座って休んでいたんですよ。そしたら・・・」

国場さん「ここだと思います」

お父さんの担ぐモッコに乗って嬉しそうな少年、46年前の国場さんです。国場さんの兄弟が新聞でこの写真を発見、山田さんを訪ねたといいます。

国場さん「(Q:写真を見たときは?)感激しました。当時は写真撮るだけでお金かかるから。10人兄弟で、写真なんて全然ない」

お父さんは20年ほど前に他界。今では少年時代のいい思い出として息子さんたち語り継いでいます。

山田さん「(Q:卒業してどのくらいですか?)78年くらいかな」

久しぶりに母校へやってきました。山田さんのカメラを見て子どもたちが集まります。

山田さん「みんなの顔が映るようによーいいですか?ハーイ」

『おじいちゃんは78年前にここを卒業したの』

子どもたち「すげー」「大先輩」

山田さん「嬉しいことも悲しいことも、とにかく一枚の写真で表現できる。だから子どもたちの写真だって、単に子どもが喜んでいるわけではなく、撮っている自分も喜びを感じている。『命こそ宝』とありますが、僕は『童こそ宝』だと」

写真家・山田實さん88歳。生きがいはシャッターを切ること。