九州沖縄山口のANN系列局でお伝えするブロック企画『今年にかける』、1回目は、沖縄からです。デジタル化の波に押され危機にある日本最南端の小さな映画館が存続をかけた挑戦を追いました。
サンゴ礁に囲まれた、沖縄県の宮古島。ゆったりとした時間が流れるこの島に・・・そわそわと店を訪ね歩く、ひとりの男性がいました。
下地さん「こんにちはー、映画館です。みなさんの見たい映画を出しますから。何がいいですか?裕次郎がいい?」
客「裕次郎がいい!」
下地さん「そういう映画もやらんといかんね。」
宮古島で生まれ育った、下地昌伸さん。店に頼んで置いてもらったのは、募金箱です。「日本最南端の映画館のデジタル化に協力を」。下地さんは、宮古島でたったひとつの映画館「シネマパニック」のオーナーです。この愛着のある35ミリフィルムの映写機で地元のみんなを楽しませてきました。でも、そのフィルム映画がもう供給されなくなるのです。
下地さん「映写機にずっとしがみつくことも前に進めないことになるので目線を変えてやっていかないといけないなと」
しかし、デジタル化にかかる費用はおよそ1000万円と、大金です。このハードルを越せない小さな映画館は、日本各地でひっそりと灯を消しています。日本最南端の映画館を守ろうと、一大決心をした下地さん。作戦は募金箱の設置だけではないんです。
颯悟「OK一回やってみて、よーい、はい!」
女の子「もっとたくさんのスクリーンを・・・」
颯悟くん「映画を!笑う」
映画館を残したいという、地元の人たちと一緒に、PR映画を作ることにしたのです。
監督は、現役の高校3年生、仲村颯悟くん。かつて中学生映画監督として全国デビューしたプロの映画監督です。
颯悟くん「いきまーす!」
男性「みゃーくんな、なかばり鍾乳洞まえぴちーつ、映画館まえぴちーつ。ぴちーつしかにゃーむぬ、んーなしぬくしーぴらやー(宮古島には、この鍾乳洞もひとつ、映画館もひとつ。島にひとつしかないものは何としても残しましょう)」
シネマパニックのために映画を作りたい、と那覇から飛んできた颯悟くん。その気持ちには、理由がありました。
颯悟くん「映画館で初めて作品が上映されたのが、ここだったんです」
5年前の夏、シネマパニックでは、まだ映画監督として無名だっ颯悟くんの作品が上映されていました。
下地さん「映画に打ち込んでいる少年をちょっとだけバックアップする映画館が田舎のほうにあってもいいんじゃないかと思っています」
映画作りが楽しくて仕方がない。そんな少年をまるごと受け止めて、プロへの第一歩を支えてくれたのが、下地さんであり、この映画館だったのです。
颯悟くん「もう原点じゃないですかね、(僕の)映画作りの。映画館の、いろんな知らない人と一緒にみて、笑う場所で笑ったり、泣く場所で泣いたり、その一体感。映画には映画館でみる良さがあると思っています。」
場内の壁には、この8年間、映画館を訪れた人たちの思い出やメッセージが、書き込まれています。映画館を島の未来に残せるのか、決まるのはことしの3月です。
3月までに1000万円が集まらなければ、潔くやめる。背水の陣で挑む、2014年です。
下地さん「フィルムからデジタルに大きく変わる、そんな大きな波ですけど、それを押し返す、宮古の言葉でまた「あららがま精神」というんですけど、なにくそという言葉なんですけど、これを十分発揮して。10宮古にある世界一の映画館になる、僕の目標ですね、今年の。映画館は、そこに暮らす人々と、世界とをつなぐよりどころでもあります。下地さんたちの挑戦、実を結んでほしいですね。」