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1999年8月9日アメリカ・イリノイ州・日本人女性が就寝中に鍵を壊され侵入した男にレイプされる。

大藪さん「性暴力というのは私も体験したところで思うことは、やっぱり自分がそれまでいた自分ていうのが壊されてしまうという体験だと思う。それまで一生懸命積み上げてきたこの自分が、あの一瞬で壊れ去る。」

アメリカの新聞社でカメラマンとして働いていた大藪順子(のぶこ)さん。彼女は14年前突然、性暴力の被害者となりました。当時、性暴力が社会問題となっていたアメリカでは、SARTというシステムが出来つつありました。

大藪さん「今晩起こったことはあなたのせいじゃないのよ」と言われた。正直逆切れしたんですね、当然だと。自分の家でちゃんと鍵をかけて寝ていたのに私が悪いわけがないと。でも後からもう一つ鍵をかけていたらとか、どうしてあの夜友達の家に泊まりに行っていなかったのかとか、なんか自分に負があったのではないかと考えている自分がいた」

事件から3日後に犯人は逮捕され、懲役20年の刑が言い渡されます。しかし、本当の闘いはここからでした。「なぜ自分が?」「どうしてあの時」という自問自答を繰り返し、順子さんは精神障害に陥ります。

笑えない・泣けない・怒れない全ての感情をなくしました。

牧師の言葉「牧師が手紙を書いたらどうかと「誰にですか?」加害者に書くんだと「何言ってるんだこのおじさんと正直思った」もう私の気持ちなんかわからないでしょうと、なんでそんなことを軽々しく言えるのかといいました。」

事件から1年後、苦しみに終止符を打ちたい、順子さんは犯人に向けて手紙を書きました。

手紙より「あなたの行為によってどん底に落とされた私も新しく歩み始める道があることが今やっとわかってきたのです。あなたにもいつかそんな日が来ることを願っています。ノブコ。」

それまでうつだった私が笑い始めたんですね

大藪さん「私は幸せになる権利があるはずなのに、どうしてこの怒りとか恥だとか憎しみにばっかり支配されて生きていかなきゃいけないのか。ポストに入れた瞬間それまでうつだった私が笑い始めたんですね」

「STAND」自らが立ち上がった順子さんは、そこから被害者に立ち上がる機会があることに気づいてほしいと、アメリカやカナダで直接、性被害者に会い、そのことを伝える活動を始めました。

写真を見ながら大藪さん「この人たちそれぞれお幸せがあるはずなのに「被害者」という肩書によってひとくくりにされてしまうというのが許せない。どうにかそれを証言したいなと思った。ふたを上げるとじゃべりたいという人がすごくたくさんいたということ。」

2年間でおよそ70人の被害者と会い写真を撮り続けた順子さん。その活動は全米に広がりました。

正しい支援をいち早く受けることによって被害者の人生がずいぶん変わっていくということを私自身が体験

今、沖縄でも県が準備を進める「ワンストップ支援センター」順子さんは本来あるべき支援についてこう話しました。

大藪さん「支援者と被害者の間には一線をきっちり引く必要がある。支援をする方がきっちりと自分に何ができる何ができないと支援する側に伝えるのはとっても大事な義務それは責任ですよね。」

順子さんは被害を受けた人が支援者に依存するようなことにならないよう支援の意味を考えてほしい。そして、ワンストップ支援センターだけでなく全ての救急病院で同じ救済を受けられるようにすべきだと話します。

『辛い経験があるからこそ被害後の人生をもっと輝いて幸せに過ごすことが可能であることに気づいて・・・』 『辛い経験があるからこそ被害後の人生をもっと輝いて幸せに過ごすことが可能であることに気づいて・・・』[/caption]

大藪さん「最初から支援を受けた結果、今の自分がいるのですから、正しい支援をいち早く受けることによって被害者の人生がずいぶん変わっていくということを私自信が体験し、私自身の体験をお話することがとても大切なことなのではないか」

順子さんの著書の最後には被害者に向けたこんなメッセージがあります。

『辛い経験があるからこそ被害後の人生をもっと輝いて幸せに過ごすことが可能であることに気づいて・・・』