県民の大反発を招いた教科書検定問題。その行方を不安な気持ちで見守る人たちがいます。
「軍の命令なしには、住民は自発的に死を選択することはなかった」
「事実は消せない」体験者たちの声を聞きました。
久しぶりに渡嘉敷島に里帰りしたのは金城重明さん、集団自決の生存者です。これまで集団自決の背景にある日本軍の関わりを積極的に証言してきました。
1945年3月23日、アメリカ軍は慶良間諸島で爆撃を開始、27日には渡嘉敷島に上陸しました。逃げ場を失い、追い詰められた住民たち、集団自決はその翌日に起こりました。
アメリカ軍の上陸の一週間前、青年たちは日本軍から2個ずつ手榴弾を配られました。1つは敵に会ったら投げろ、そしてもう1つはいざというときに自決しなさいと。住民と軍隊は運命共同体だと圧力をかけられていました
その様子はある絵に再現されています。女性に切りつける少年や互いの首に縄を巻きつけ、絞めあう女性たち。これは金城さんの証言を元に描かれました。
金城重明さん「その人はね、一本の木の枝をへし折ったんです。木片が彼の手に握られるや否や、自分の愛する妻子を滅多打ちにしたんです」
金城さんはこれまで慰霊祭に出たことがありません。被害者であると同時に、加害者でもあるという罪の意識に苦しんできたからです。
金城さん「母親に手をかけたんですよ。自分たちを生んでくれた母親に手をかけた。最終的に、これくらいの石を母の頭部にぶつけるんですよね。私は号泣しました。母も泣いていました」
「集団自決」を巡る論争のきっかけとなった国の教科書検定。これまでの「日本軍に強制された」という記述を「追い込まれて自決した」などと修正。「日本軍」、「強制」などの言葉を削除し、日本軍の関わりを曖昧にしました。理由は、「沖縄戦の実態について誤解する恐れがある」というものでした。
伊吹文明大臣「すべての集団自決がすべて日本軍の関与のもとに行われたという記述について、それは必ずしもそうではないじゃないかと」
「日本軍は関わっていた」。これまで多くの証言から、そうとらえられていた事実。なぜ今になって証言者の言葉を無視し、教科書の記述を変えるのか反発の声は高まっています。
高嶋教授「日本軍は住民を最期は守らない、突き放す、死に追いやる側だということを具体的にわからせる、そういう事実ですね。これから憲法9条を骨抜きにしたいと、日本の再軍備を強烈に進めたい。内々には核武装も考えている。そういう政治的意図からすれば、大変具合が悪い」
歴史教科書の執筆者・石山久男さん「場合によれば、自分の肉親に手をかけた上で自分が生き残ったとか、それは耐えられないものがあると思う。そういう苦しみを乗り越え、証言された方の語っていることを無かったことにしようというのは、やっぱり証言された方にとっては二重に耐えられないことだと思う」
事実を消してはいけない。それが証言者の思いです。
金城さん「軍の誘導で死に追い込まれる、追い込まれたということがあるのは事実であります」
しかし、何年経っても当時のことを思い出し、公の場で話すことは苦痛です。身を削るような思いで演壇に立っていました。
今は那覇市内の教会で牧師をしています。62年前、敵に切り込んでから家族の後を追うつもりでしたが、その機会は訪れず、後悔と罪の意識に苦しんできました。今は「どんな罪も許される」という聖書の教えに支えられています。
金城さん「もしキリスト教に出会っていなければ、絶望的になり、自殺をしていたかもしれない。そんな思いはあるんです。聖書の言葉というのは、無条件に信じるだけで救われる。これはもう凄い教えだなあと」
戦後62年、体験者は語ります。生き残ったものの役割は、過去を正しく伝えることだと。
金城さん「口では言い表せない状況です。それこそ地獄絵というか、前はもう話したくないし、忘れたかった。年をとると、生き残りしか証言はできないという使命感、事実は消せないと。戦争の過ちは過ちとして認識し、反省することが美しいんですよ」