※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
沖縄では復帰後不発弾の爆発が11件発生。死亡6人、負傷者47人の死傷者が出ています。私達のまわりには不発弾という「危険」が常に存在しています。20万人余りの命を奪った「沖縄戦」。その戦いは「鉄の暴風」と形容されるほど砲弾の嵐が降りました。その結果、沖縄には多くの不発弾が残されました。そして1974年には那覇市小禄の保育園近くで不発弾が爆発し4人が亡くなり30人余りの負傷者を出す大惨事も起こりました。
不発弾は住宅地や造成地、学校の近くや新都心の日本銀行の建設場所からも140発が出てきました。不発弾は、ことしに入っても次々と発見されていて今年度はこれまでの10カ月間で483件、9180発が処理・回収されています。復帰の1972年からだと、3万55件、137万8735発に上ります。しかし、県内の不発弾を全て処理するにはあと50年かかると言われていて戦争が残した傷の大きさを物語っています。