2011年3月9日。福島県郡山市の産婦人科医院で元気な長男の誕生に幸せをかみしめる小林朋生さん・かおりさん夫妻。相手を思いやる子になってほしい小林さん夫妻は「慈生(いつき)」と名付けました。
しかし、その2日後。
小林かおりさん「私と看護婦さんで母乳をあげようとして、いつきをだっこしたところに、携帯の地震速報が鳴った。その少し後にすごい(地震が)きて」
今まで経験したことのない揺れの中、生まれたばかりのいつきくんを必死で抱きしめたかおりさん。幸い家族や家に被害はありませんでしたが、断水により生後3日で退院。不安の中、家に戻ると、目に飛び込んできたのはあの福島第一原発事故のニュースでした。
かおりさん「埼玉や千葉のお母さんの母乳から放射性物質が検出されたとニュースが出て。そういうの聞いちゃうと混乱しちゃって」
かおりさんは出産直前まで、福島県矢吹町にある人気洋菓子店「ハッピーベリー」でパティシエとして働いていました。お店の看板メニューの1つ、マフィンがかおりさんの担当。1つ1つが膨らむ瞬間が何より幸せでした。
初めての育児にも関わらず、目に見えない放射能の恐怖。そんな不安な生活を送るかおりさんの背中を押したのが、かおりさんが働いていた洋菓子店のオーナーでした。
かおりさん「せっかく生まれてきたのに、外も歩けないし、砂場であそんだりもできない、好きなもの食べさせてあげられない。そんなかわいそうなことはない。その子にとって何を自分がしてあげられるかよく考えた方がいいと」
震災後、沖縄に避難し、2号店をオープンさせていたオーナー夫妻の言葉。2011年8月、反対する両親や夫を説得し、かおりさんは避難を決めました。
洗濯物は外に干し、水道から流れる水も躊躇せず使える。何より、外でいつきくんを思いっきり遊ばせてあげられる。当たり前の生活に、肩の力は抜け、沖縄に根付き始めていました。
かおりさん「初めて来るお客さんでも『~よね?』みたいな、すごく前からの友達だったかのように話しかけてくれて。そういうのがありがたかったりして」
福島の「ハッピーベリー」は有名雑誌やテレビなどでも紹介される人気店。その一方で、かおりさんが店長を務めるうるま市の2号店は、赤字が続きました。
かおりさん「赤字で(福島のお店)に経営を助けられている状況」
先月いっぱいでうるま市のお店は閉店。今は一人、忙しい福島のお店を助けるべく、いつきくんを保育園に預け、朝から夕方まで焼き菓子を作り、福島へ送っています。
かおりさん「毎日作って送っているのが週末には全部なくなるっていう感じで追いつかない」
震災から2年となる今月。小林さん家族にとって。もう一つの転機が訪れました。
いつきくん「(Q:パパ今何してるかな?)おしごと。(Q:何作ってる?)ケーキ」
かおりさん「今は福島のお店で修業がてら、1カ月手伝って」
来月、浦添に移転オープンすることが決まり、夫・朋生さんも一緒にお店をやっていくことになりました。
かおりさん「いろんな変化があって、思うところはあるかも知れないですけど、こうやって沖縄で家族で暮らしていられるっていうのがありがたくて、がんばるしかない。何とか定着してやっていけるようにしたい」
震災から2年、それを私たちは節目としてとらえてしまいがちですが、被災した人たちの心の葛藤は今でも続いています。その中でしっかりと別の場所で根をはって生きようと決断した小林さん一家。新しいお店は来月中旬にもオープンするということです。