東日本大震災で、マスメディアが報道しなかった「取材する側」に焦点をあてたドキュメンタリー映画が那覇市で公開されています。
東日本大震災発生から2週間後、被災地に向かう4人の映画監督たち。破壊された街と家族を探す人々を前に、撮影する自分たち自身の姿にカメラを向け続けます。
「誰も見たくなかったはずのドキュメンタリー」と評される映画「311」は、マスメディアが決して表に出さなかった震災を「撮る側」にいる人たちを映した作品です。
今月22日から那覇市で上映がはじまり、製作者のひとりである森達也監督がQABの単独インタビューに応じました。
森達也監督「この映画は一口で言っちゃうと、撮る僕たち自身が被写体。撮っている僕らの醜悪さ、狡猾さであったり、無様さを出す。でも普段メディアがやっていること」
森達也監督「避難所にいって子どもに『お父さんお母さんどこにいったの?』と聞くシーン。あのシーンは要するに、あの避難所にはお父さんお母さんを失った子どもたちがたくさんいるという情報が入ったから行ったわけ。当然、僕はお父さんもお母さんも流されてしまったという答えが返ってくるのを期待しているわけですよね。でもそうじゃなかった。明らかに、聞いている僕の声はトーンダウンしている。これはテレビで、ニュースでやるのであればNGですよね。そしたら逆にそこを使おうと」
映画では、被災地で掘り出される子どもたちの遺品や、野ざらしにされた家畜の遺体など、マスメディアが「自主規制」として報道しなかった事実も映されています。
以前はテレビ局でオウム真理教などをテーマとした番組制作にかかわっていた森監督。マスメディアが描かないものをあえて撮る意味をこう話します。
森監督「震災以降ね、自主規制的なものがとても広がってしまって萎縮した、冒険しなくなった。ドキュメンタリー全般が最後には、愛とか希望とか、絆とかね。そっちに行きたがる。ドキュメンタリーの機能として大事なことはマスメディアを補完すること。補完というのは、マスメディアの単純明快なところに対して、実はそんなに単純じゃないよ、こんなに複雑なんだよと示すこと。もちろん見る側にとっては消化不良になったり、混乱したりもする。でもそれが世界なんです」
被災地から遠く離れた沖縄。しかし、森監督は311以降、日本全体に起きているある「現象」の中に沖縄が置かれているといいます。
森監督「大きな事件事故の後、人は集団化する。結束したくなる。集団ってのは異物を探します。もしくは敵がほしくなる、敵を叩きたくなる。なぜならその瞬間に自分たちが連帯できる。怖い、不安だからこそ、自分たちと違うものを探せ、違うものを攻撃するものを探せと。集団化はまずいんじゃないかと思っているときに、尖閣問題起きましたからね。この映画の中のテーマみたいなものを自分たちの問題と置き換えてくれれば、また考える示唆みたいなものが見つかるかもしれないし、そういう風にうまく見てもらえればありがたいですね」
国内外で賛否を呼んだ問題作、映画「311」は来月11日(木)まで那覇市で公開されています。