2010年美ら島総体 8月5日準決勝、与那覇選手、敗戦。負けてうなだれる。「小学生のときからきょうのためにがんばってきたのが、もう終わってしまった、涙」
あれから2年…
今年3月、全国選抜大会で県勢初の団体優勝に輝いた浦添工業。屋比久監督「どこが上がってきてもうちは絶対勝てる」「絶対優勝できる」
残すは、インターハイでの団体:全国制覇、春夏連覇を狙います。美ら島総体で涙した与那覇竜太くんは、今や84キロ級では不動の全国チャンピオン。
そして屋比久保監督の息子でもある屋比久翔平くんも、今年の全国選抜では66キロ級で個人優勝を果たしました。
実は、竜太くんと翔平くん、そして共に練習する本村匠(たくみ)くんと大城一晟(いっせい)くんは、
2004年、屋比久監督が美ら島総体の強化を目的に創設した「てだこ道場」の第1期生、4人は試合に行くのも遊びに行くのもいつも一緒でした。
竜太君「仲間意識はどのチームより強いと思います」
屋比久監督「勝つしかないの勝つしか、負けたら惜しかったね、次がんばろうねって次はないんだよ、うちは、はい」練習中は選手達を厳しく叱咤激励する屋比久監督。
しかし、練習を離れると父親のように選手達に寄り添ってきました。
食事の世話する屋比久監督「ご飯まだあるよ、おこげがある、おこげおこげ」
竜太君「全然言葉にウソがないし、屋比久先生が勝つぞ!っていうのを聞いて俺たちも勝つぞって思えるし」
一晟君「大げさなんですけど、神様位、やばい、お世話になっているし」
匠君「感謝の気持ちでいっぱいで練習きつくても全国制覇っていうのは屋比久先生のために勝ちたいなって」
7月7日合宿夜練、床に落ちる汗、監督への感謝の思いを胸に厳しい練習をこなす選手達。息子である翔平くんも、ある雪辱に燃えていました。
監督現役はいつまでだったんですか?屋比久監督「30歳までです、バルセロナオリンピックの最終選考会で終わりました」
オリンピック候補だった父に憧れレスリングを始めた翔平くん、全国選抜やジュニアオリンピックで優勝し父の背中が見え始めていました。
しかし、優勝確実と思われた6月の九州大会。翔平君「3-0で勝ってるのに自分が引いてるじゃないですか」まさかの準決勝敗退を喫しました。
「怖いよ、何があるか怖い、でも攻め続ければ絶対相手は倒れてくるから」父とともに課題克服に励む翔平君。
翔平君「(父は)目標であり、ライバルみたいな感じで」「インターハイも団体・個人で優勝して胴上げできるように」「そこからオリンピック行きたいって思ったんで」
全国チャンピオンへの返り咲きは、父親越えの第一歩、そして最大の恩返しだと考えています。
そして監督にとっても…
目頭おさえて、 屋比久監督「本人達の前でもちょっと涙が出そうになるので我慢しているんですけどね」「絶対負けませんので、僕は日本一の練習をしていると思います」「ぜひ優勝させたいと思います」
出会いから8年、時に厳しく時に優しく、家族同然のように過ごした選手達との時間。いよいよ最後の夏をむかえます。
竜太君「本当にインターハイ団体戦は最後になるので、この8年間の集大成を屋比久先生に恩返ししたいです」