4月、竹富島では、害虫で枯れかけていたデイゴが6年ぶりに満開の花を咲かせました。しかし、昔からデイゴがきれいに咲くとやってくると言われているのが…「台風」
ことし沖縄に接近した台風は6個。農林水産業の被害総額は、87億円以上と、過去10年で最大となりました。
特に、5月に沖縄を暴風域に巻き込んだ台風2号の被害は甚大で、各地に大きな爪あとを残しました。
ことし、11月末までに、覚せい剤などの薬物使用や、所持で検挙された人の数は、113人。これは去年より46人多く、過去10年で最大となっています。
取材を通してよく聞いた言葉が、「一般人に広まっている」ということ。
これまで暴力団を中心に摘発されてきた薬物事件ですが、警察によりますと、ネットや携帯電話の普及により手に入れやすくなったことで、これまで薬物とは縁の無かった市民の間でも広がりを見せているというのです。
ことし7月には、メキシコからの国際郵便を使って、およそ200グラム、末端価格にしておよそ1600万円の覚せい剤を密輸する事件が発生。
密輸に関わった男4人は、全員が密輸や覚せい剤所持の容疑で逮捕されていますが、営利目的とされる密輸は、沖縄でも覚せい剤を売りさばくルートが出来つつあることを示しています。
ことし5月。那覇市で酒に酔ったアメリカ兵の男が、タクシーを奪う強盗事件が発生。前に入って止めようとした、運転手の男性を跳ねて逃走し、果ては海を泳いで逃げるという、衝撃的な事件でした。
事件の裁判員裁判では「外出規制のある深夜に外出するとき、チェックすることはないのか?」という裁判員の問いかけに対し、男は「基地外で生活している人もいるため、コントロールするのは難しい」と答えました。
この被告には被害者の男性と示談が成立していることなどから、執行猶予つきの判決が下されました。
しかし、何度も綱紀粛正を約束しながら繰り返される、アメリカ兵の事件事故に、判決後、裁判員からは、「県民は腹立たしく、残念な気持ちになっている。チェック体制をしっかりしてほしい」と被告ではなく、アメリカ軍全体に向けられた異例のメッセージが読まれました。
ことしも県内は、不発弾の発見が相次ぎました。ことし4月から11月末までに不発弾の届出があったのは562件。発炎筒なども含めると、8053発に上ります。
6月には、修学旅行で沖縄を訪れていた高校生が、空港の手荷物検査場に「無人島で拾った」という不発弾を持ち込み、一事騒然となりました。
そして、これまでの不発弾対策で見落とされていた新たな問題が露呈したのが、サマリヤ人病院の敷地内で見つかったアメリカ製の125キロ爆弾。
現場での処理が必要な不発弾でしたが、患者の移動にかかる費用や、そもそも移動することができない患者をどうするのかという問題が浮かび上がったのです。
結局、避難することのできない患者を病院に残したまま、窓をベニヤ板で補強するなどの対応で、不発弾処理は行われました。その後、移動にかかる費用のほとんどを国が負担することになりました。
戦争の風化が叫ばれていますが、その爪あとが、実生活に影響を及ぼしている姿を目の当たりにした出来事でした。
1月に沖縄市で起きた交通死亡事故。事故を起こしたアメリカ軍属の男は、日本で不起訴。アメリカ側で運転禁止5年という処分に、日米どちらでも刑事裁判にかけられない、軍属という、法の空白となった存在がクローズアップされました。
遺族や、遺族を支える会の活動により、政府は日米合同委員会で、日米地位協定の運用見直しに合意し、軍属の男は起訴されることになりました。
しかし、日本で裁判できるかどうかが、「アメリカの好意的考慮」に委ねられることだけでなく、そもそも軍属は、市民と同じように、無条件に日本で裁判ができるという意見も出ています。
その後、政府は、公務中であっても、飲酒による交通事故は日本で裁けるようにするなどの、地位協定の運用見直しを続けましたが、
改定が必要になったにも関わらず、運用の見直しだけで不都合を覆い隠すような対応を続けてきた政府に、批判の声が向けられます。
毎年のように課題としてあげられる地位協定。軍属の起訴が決まったとき、地位協定の改定を呼びかけた遺族や支える会は、口をそろえて、「これから」と話していました。
復帰40年を迎える来年はどのような年になるのか、遺族の戦いは続きます。