日米が普天間基地の返還などを決めたSACO合意からちょうど15年。しかし普天間基地の返還はいまだに実現していません。皮肉にも地元で返還業務の指揮を執る沖縄防衛局長が不適切な発言をし、防衛大臣が辞任に追い込まれようとしています。一川防衛大臣が12月2日、仲井真知事と会談し直接謝罪します。
この問題を巡っては11月30日、防衛省の事務方のトップ、中江公人事務次官が沖縄を訪問し、直接謝罪していましたが、仲井真知事は政府との信頼関係は「ぶち壊された」と述べ、これまで通りに普天間基地の辺野古移設に向けた作業を進めるとする政府の方針に不快感を示しました。こうした中、さらに政府と沖縄との溝を感じさせる出来事が起きました。
12月1日の参議院東日本大震災復興特別委員会。一川防衛大臣は普天間基地返還のきっかけとなった1995年の暴行事件について、佐藤議員(自民)の「大臣あの95年の事件の中身をご存じですか?」との質問に一川防衛大臣は「中身と言われても、その正確な中身を詳細には私は知ってはおりません」と発言したのです。
一夜明け、「国会の場で詳細に説明する事案とは異なると思った」と釈明した一川防衛大臣。しかし県民の不信感は募っています。
辺野古で男性は「(普天間閉鎖と辺野古移設の結果につながった)大事件だったわけです。その事件を詳細に知らないというくらいの学習しかしてないのは沖縄の心も分かりにくいのでは?」と話し、那覇市では女性が「暴行事件を知らないで、こちらに謝罪っていったらおかしい。謝罪したからって済まされることじゃない」、男性は「どこまで誠意があるって言うのがちょっと疑問ではあります。もうちょっと勉強されたほうが良いと思う」と話していました。
仲井真知事は「大臣がね、わざわざを沖縄まで見えるんですから、どういうお話をされるのか。そりゃあやっぱり天下の大臣ですから。きちっとお話は伺わないと」と話しています。
一方、この事態を受けて一川防衛大臣を沖縄に派遣した政府は、藤村官房長官や川端沖縄担当大臣らが、閣議後の会見で相次いで沖縄への謝罪の言葉を述べていますが、環境影響評価書の提出とは切り離した言い方に終始しています。
藤村官房長官は「1995年のことは、当然私はよくご承知だと思っていましたが、その発言ぶりというのが適切だったかと言われたら、もう少し答えようはあったかなと私は思います」と述べ、川端沖縄担当大臣は「改めて申し訳ない気持ちでいっぱいであります。担当大臣としては、引き続き、沖縄の振興にしっかりと取り組んでいくということに全力を挙げたい」と述べていました。