木下黄太さん「放射性物質は花粉のようなイメージ。毒のある花粉青酸カリのような花粉が飛び交っていると思ってください。」
おととい、「沖縄から放射能問題を考える」と題した講演会が那覇市で開かれました。会場に集まった人のほとんどが幼い子どもを連れた父親・母親。
お父さん「食べ物絶対気をつけないとだめだと思う。」
お母さん「給食のことが心配ですけど。」
食べ物から放射性物質を体内に取り込んでしまう内部被ばくに県内からも不安の声が高まっています。
木下黄太さん「沖縄の中で一番気にしなきゃいけないのはおそらく食料の問題です、沖縄県産でない食べものはかなり流通しています、これだけ距離が離れていても内部被ばくという観点から考えると本当に大丈夫かどうかというのはわかりません。」
国の基準に疑問をいだき、沖縄に避難してきた家族も多く、切実な表情で必死にメモをとる姿があちこちで見られました。
その中でただまっすぐステージを見つめる女性。講演会を主催した龍野愛さん。自身も4人の子どもを抱える母親です。神奈川県からの避難してきました。
龍野さん「この震災でこの事故がなければ原発がどこに設置されていてどんな風に使われているのか全く知らなかった。」
龍野さんが放射能の問題を深く考えるきっかけになったのは、長男の病気でした。
龍野さん「お兄ちゃんが先天性の水腎症という腎臓に水がたまる病気で、安心して食べ物を獲得できないことがお兄ちゃんの病気には不利益危ないんじゃないかと思って。」
震災からおよそ3週間後、龍野さん一家は沖縄で新たな生活をスタートさせました。
福島原発から2000キロ以上離れた沖縄。しかし、腐葉土や汚染牛の報道、原発の脅威はすぐそこまできていました。
龍野さん「あれは内地の話だけじゃなかったんだねって時間とともに県内のお母さんたちも知り始め本当にたくさんの人に知ってもらいたい。」
その思いで、震災から4ヶ月後の7月11日。「子どもを放射能から守る会おきなわ」を立ち上げました。
日々、情報集めに県内を奔走する龍野さん。内部被ばくの権威、琉球大学の矢ケ崎教授は龍野さんにとって最高の助言者です。
龍野さん「福島由来のもので劇的に放射能が降る可能性は?」矢ケ崎教授「それはないと思います」龍野さん「よかったーお母さんたち安心すると思います。」
矢ケ崎教授は今回の事故以前から国が定める放射性物質の基準は安全ではないと訴えています。
矢ケ崎教授「県民が食べられる基準を明確にするそれは政府の基準ではなくウクライナやベラルーシのもの。」
矢ケ崎教授の資料によれば、日本の放射性物質の基準値は水だけをとってもこれだけの違いがあります。日本で乳児に飲ませても安全といわれる基準は国際法の原発の排水よりも高いことになります。
龍野さん「今後何をしていくことで母親が家族を子どもを守れるのか、消費者市民が測ってくれなきゃ買えないんだよということをしっかり伝えていく。」
今、未来を担う子ども達を守るため龍野さんは、沖縄から声を上げ続けます。
子どもは成長が大きい分放射性物質を取り込む力も大きくなるということですから数値が低いから大丈夫なのではなく子どもの将来のために大人がどう守ってあげられるのか考える必要に迫られています。