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艶やかな琉装姿の美女に、機織に精を出すお母さん。そんな古き良き沖縄の姿を今に伝える「琉球人形」を集めた展示会が今月開かれました。主催したのは、ブラジルに琉球人形を贈ろうと取り組んでいる座間味末子さんです。

座間味末子さん「沖縄県民がブラジルに移住して100年になると聞きました。海外に出られて頑張っていらっしゃる、そういう方々に沖縄にはこういった素晴らしい琉球人形があるということを、いつまでも親のふるさとを忘れないでほしいという願いもありまして」

座間味さんは30年のキャリアを持つ人形作家。作品へのこだわりはいたるところに見られます。

例えば人形たちが身につけている衣装。鮮やかな紅型の着物は本物と同じ工程で作っています。

そして極め付けがこちら。王朝時代の士族の婚礼行列をまるごと再現しました。白地に紅型が施された珍しい花嫁衣裳は古い文献を参考に作りました。

座間味さん「一番特徴となるのは紅型、かんぷう、織物。織もたくさんあります。文化というのがありますよね、そして伝統、私はできるだけ近づけるようにしている」

実は琉球人形が作られるようになったのは戦後のことだといわれています。その頃は結婚祝いの贈り物や交流の記念品として用いられていました。60年代になるとアメリカ兵やその家族の土産物としてブームに。戦災未亡人の経済的自立を促すため、琉球政府主催の技術研修も行われていたといいます。

そんな琉球人形をブラジルに贈ろうと座間味さんが思い立ったのは11年前、世界のウチナーンチュ大会で初めて県出身者の2世や3世と交流したのがきっかけでした。人形を見て目を輝かせる日系人たち。彼らには豊かになる中で、ウチナーンチュが忘れてしまった伝統やふるさとを大切にする気持ちが残っているように見えたといいます。

座間味さん「向こうに行きますと、昔の古いウチナーが、時間が止まったような感じですよね。人形を見て懐かしいとか、ふるさとを思い出すとか、そういうのが特にあるんじゃないですか」

去年の春からはブラジルに贈るため、古い人形を寄付してくれるよう呼びかけも始めました。これまでに寄せられた人形は130体以上。予想を上回る反響です。

座間味さん「中にはブラジルに親戚がいらして、そういう方たちの方にお届けして欲しいという方もいます。琉球人形があるんですが、お家が狭くてどうしても飾れないとか。そういう家庭で不要になった人形を、それをもらって欲しいということで、教室に持ってきてくださる方もいるんです」

座間味さんは今、仲間たちとともに古い人形の修理に追われています。

古い花笠をはずして髪を整え、新しい衣装を着替えさせる女性たちの表情。それは、わが子を嫁に出す母親のようにも見えます。

「人形を贈ろう会」メンバー「昔は花嫁移民というのがありましたよね・・・。フィアンセの方は向こうに行かれて、後から行くんですね。100年前、こういうキレイなお召し物ではなかったかもしれないけど、遠いところに行くという、一つの不安と喜びと、そんな表情に見えません?」「やはり日本の伝統、文化、この美しさをまた伝えて欲しいです」

琉球人形を作り続けたお陰で仲間に恵まれ、世界が広がった。座間味さんは人形たちに感謝の気持ちでいっぱいです。

座間味さん「私にとって人形はやっぱり交流ですね。人形を通して人と人との交流です」

人形は人と文化をつなぐ架け橋。座間味さんは人形たちとともに7月にもブラジルを訪れる予定です。