午後9時すぎ、慌ただしく県営住宅に布団を運ぶのは宮城県からやって来た漁師の大友康広さんとその家族です。大友さんのふるさとは東松島市。津波で深刻な被害を受けました。
大友康広さん「たまたま、その地区では学校一軒だけが避難所になっている学校一軒だけが助かったというか。」「一言で言うなら、地獄絵図が学校の周りに広がっていて、学校が一つの船みたいな感じで、周りには家が浮いていたり車が浮いている感じで。学校からはどうすることもできない。そこから一歩もでないし、津波が来て、そのまま学校が倒されるんじゃないかというのがあった。」
津波で家も、漁師にとって最も大事な船も失った大友さん。避難所で読んだ新聞で、県営住宅の無償提供を知り、沖縄行きを決めました。妻の深雪さんは、妊娠7カ月。避難所生活は体に障ると考えたのです。しかし沖縄には誰1人として身よりもなく、あるのはわずかな貯金だけ。不安だらけの旅立ちでした。
大友康広さん「最初はすごい不安で、空港に着いてすぐ泣いちゃって家もないし、お金もない、仕事もない。友だちもいないし、どうしようと思って。妻・深雪さん「もうなんか、体中冷たくなって、怖くて。」大友康広さん「いま一番心配なのは、仕事が何にもあてがなくて、体一つで来たんで」
この日は、県が紹介したリサイクルショップを訪ねました。この店は被災者に対して、洗濯機や冷蔵庫などを、半年間無償で貸し出しています。
大友康広さん「ぜいたく品かもしれませんが、やかん。」「洗濯機、冷蔵庫、ガスレンジ、テーブル・・・。」遠慮がちに必要なものを告げる大友さんに対し店の人は。「リサイクルショップなので全てが新しいものになるか、お約束はできないですが、困らないように企業として努力させていただきます。頑張っていきましょう。」
また、こんなこともありました。「近くだから冷えているし、毛布かなんか持っていこうかなと思ってたんですよ。」被災地から引っ越してきた家族がいると聞いて近所の人が食料などを届けてくれたのです。
一方、地元自治会もさっそく支援策を話し合いました。新赤道自治会のメンバー「どれくらい集まるかわかりませんが、気持ちを一つにして頑張っていきたいと思います。」「みんなでカンパを集めることが決まったほか、歓迎会を開き、地域で温かく迎えようということになりました。」「みんなの気持ちは一体となっているので、沖縄で立ちあがって。 「この沖縄で甘えてほしいですね。甘えてね」
県は被災地からおよそ3000人を受け入れるとし、無償で提供する公営住宅126戸を用意しています。しかし財産を失い、着の身着のままでやって来た人たちの生活基盤を整え将来の生活をどう支援するか、課題は多くあります。
大友康広さん「沖縄とか出て、かなり明るい未来が早い段階で持てるというモデルをつくってみんなにそれを勧めて、早くみんな、俺たちみたいにいままで通りの生活というか、普通の生活に戻ってほしいと思って。」
3日後、大友さん宅にはリサイクルショップからほとんどの家財道具が届けられていました。沖縄で、安心して暮らしたいと願う人々をどう支援するか。行政と一体となった地域、県民の協力が必要と言えます。