あすは、3月4日、三線の日です。三線の音色は世代を超えて沖縄の人々の暮らしや心を繋ぎ続けています。きょうあす2日間にわたって三線が繋ぐ島唄と題して特集をお伝えします。
山城アナウンサー「守さんがおもう「民謡」ってどんな印象ですか?」
中村アナウンサー「古くからその土地で歌われ、誰が作詞作曲したかわからない、とにかく古い歌で触れる機会がないイメージです」
山城アナウンサー「実は、沖縄では毎年新しい沖縄民謡が誕生しています。それも年間100曲以上と言われているんです」
中村アナウンサー「へぇ?そんなにですか!」
山城アナウンサー「新しい沖縄民謡が誕生する大会を取材しました」
国頭ぬ里 大城建太郎さん 儀間ゆりなさん「♪ハリヨー シュラヨー 国頭ぬ里」

それぞれの思いを込めた歌詞を三線の音色と共に披露する参加者たち。「新唄大賞」は、沖縄民謡の発展と継承を目的に開かれている大会でプロアマ問わず、しまくとぅばで未発表の作品であれば誰でも応募ができます。今回は12組が最終審査に残り新唄が披露されました。
「世間ぬ肝心 親ぬ恩義 (しけぬちむぐくる うやぬうんじ)」
「母になて母の あまた(数多)寄せ事や今にて知ゆる 思み深さ 思みの深さ」

宮城マナミさん「私が母になって今までいっぱい教えてくれた言葉が今になって分かった。こんなに私は思われていたんだって気持ち」
「歌家庭ぬ笑い声や響ます 下崎村ぬ道(きないぬ あまいいくいやとぅゆます いずりばりむらぬぬつ)」「荷川取 下 﨑村ぬ道や揃いどぅ 村美ぎさ(んきゃどぅら いず〇 ばりむなう ぬつやするいどぅむらかぎさ)」

狩俣良眞さん「宮古のこの地域でしか感じられない風だったり香りだったりそこを感じて頂けたらなって思います」
友寄涼香さん「ユイサーユイ ユイサーユイ 琉美の島 球美ぬ島 我した久米島 恋し寂さん生まり島 親ぬ面影 忘ららん (くしさびさん んまりじま うやぬうむかじ わしららん)ユイサーユイ ユイサーユイ琉美の島 球美ぬ島 我した久米島」
友寄涼香さん「島離れてから気づいた久米島の良さとかがあって、それを私なりに歌いきれたらなって思ています」

親への感謝の気持ちや自分のふるさとの魅力を歌にのせていました。中には、ある思いを持った参加者も。
屋嘉部充さん「今回初めてです。40年前にうたいましたけど」
上間清さん「小学校中学校高校時代には、学芸会にはでましたよ。学芸会以来。舞台に立つのは」
南洋で戦禍を潜り抜けたという90歳の上間さんが作詞を担当。反戦平和に関する民謡が少ないと感じ応募したと話します。
上間清さん「反戦平和を歌うにしても沖縄に限定しないで世界的な視野をもって考えたいないなと思って外国語の歌詞をいれたり」

屋嘉部充さん「今年は、戦争が無くなってウクライナが平和になることを願っています」
「出逢りば世界や(いちゃりばしけや) 人間さががやゆら 昔から現在に (にんじんさががやゆら んかしからなまに)いくさ また いくさ 生命奪い捨てぃやならん( いくさ また いくさ ぬちどぅいしてぃやらん)此りや 御神ぬ御法度どぅ (くりや うかみぬ ぐはっとぅどう)出逢りば兄弟姉妹 世界や結い結ぶ(いちゃりば ちょーでー しけやゆいゆい)真くとぅば 交わち 手ぬ出じらー (まくとぅ くとぅばかわち てぃーぬ んじらー)意地引きよう 意地ぬ 出じらー 手引きよう(いじきひよ いじぬんじらー てぃーひきよー)」
歌詞には、怒りを覚えたら手をひっこめ、手が出そうになったら怒りを鎮めなさい。一度であったらみな兄弟のように仲良くしさいという沖縄のことわざを使って世界の平和を表現していました。

島唄解説員 小浜司さん「うちなーはね、反戦歌というのはそんな歌ってこなかったのよ。うちなーにとってはショックだったんじゃないかねって戦争というのは、声だかにはうたわないんだけども三線もって歌うことが平和だと歌さーたちは(感じてた)」
三線が繋ぐ島唄それは、地域の言葉で紡ぐ物語であり、平和への願いそして自分自身を表現するもの今年も新たな島唄が生まれていました。
毎年こんなに新しい民謡が誕生しているなんて知りませんでした。島くとぅばや伝統芸能の継承が課題とも言われています。あすの三線が繋ぐ島唄後編では、琉球古典音楽の裾野を世界に広げようと励んでいる人たちをご紹介します!