九州・沖縄・山口のANN系列局でお伝えする新春ブロック企画、今年のテーマは「スタート」。きょうは沖縄から、競艇レーサーについてお伝えします。水上の格闘技とも称されるボートレース、競艇。現在、1500人以上いる選手の中でただ一人、沖縄を拠点にレースに出場しているレーサーがいます。
兼島敏弘選手(55歳)。32年前、競艇学校の卒業レースでいきなり優勝。華々しくデビューした兼島選手は、あっという間に全国の競艇ファンの知るところとなりました。
勝敗を決めるポイントの一つが「スタート」。時速80キロのトップスピードで、わずか1秒の間にスタートラインを通過しなければなりません。このスタート勘はまさに神業。またレースで使用するエンジンとボートは抽選で決まるため、選手が持ち込めるのはプロペラ3枚だけ。その調整もまた、職人技です。
兼島選手「紙一枚の厚さで全く違う。モーターの良いのを引いたとしても、このプロペラが合ってないとエンジンのパワーを引き出せないですから」
選手として脂の乗り切った絶頂期、それは突然やってきました。
兼島選手「突然ね、体中の関節が痛くなった。膠原病という病気でね」
兼島選手の場合、腎機能に障害が現れました。現役引退の危機。家族と相談し、悩み抜いて出した結論が、当時73歳の父親からの生体腎移植でした。
兼島選手「まあやっぱり、親父がどうなるか、それが一番心配だった。たまたまそれがうまくいって(二人とも)まだ元気でいますから」
手術は無事成功。見事復帰を果たしますが、今度はレース中に落水し後続艇と衝突。両足の大腿骨とろっ骨4本を折る重傷でした。
兼島選手「ベッドにくくりつけられて、もう絶対に(復帰は)無理だなと思った」
衰えた筋力を回復するための懸命のリハビリを経て再び復活したものの、最も下のB2クラスに降格。家族の支えを得ながら、一からのスタートを余儀なくされました。
妻・勝江さん「今は同じ戦友みたいな感じかな。今度は支えてあげたいですね、ファンになって」
兼島選手、2010年しめくくりのレースを迎えました。兼島選手は連続優勝中の18号機を手にしました。早速、試運転で感触を確かめます。
兼島選手「連続優勝してるんですけど、ちょっと僕には重荷かな(笑)頑張ります」
そして迎えたレース初日。まずは青・4号艇で登場です。途中、隣りの舟と接触して6位。一瞬ひやっとするレースでした。続く2本目。A級選手4人と走る黄色5号艇。
実況「沖縄の風に乗ってカミソリスタートを決めるか、兼島…」最初のターンで波にのまれて失速。またしても6位に終わりました。
兼島選手「いやぁ、ショックですね。なんかいいエンジン引いたからいけるかと思ったんだけど…。まだエンジンの力を引き出せてない。明日はまたエンジン調整しなおして頑張ります」
その言葉通り、2日目以降はエンジンを再調整し、2着2回、3着3回など、まずまずの成績で2010年を締めくくりました。
兼島選手「欲を言えばA級に上がって、名人戦(ベテランの成績優秀者のみ出場)を走れるように頑張りたい。やっと元気になれたんで、今年は気合を入れていこうと思います」
大病と大怪我を乗り越え、もう一度A級レーサーとして水面へ。兼島選手、再スタートの一年が始まりました。
兼島選手、次のレースは1月27日から芦屋競艇(福岡)。今後の成績次第で、名人戦出場資格が得られるかどうかが決まります。お父さん(現在85歳)もまだまだ元気で、故郷の阿嘉島で大潮の日に潮干狩りをするほどだそうです。