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沖縄戦では多くの酒造所も壊滅し終戦後、泡盛作りもゼロからのスタートを始めました
具志堅盛輝さん「昭和20年、こっちに来た時は酒は何もなかったよ」
名護市の市街地にある昔ながらの佇まいを残す津嘉山酒造所。名護の街はアメリカ軍の攻撃で殆どの建物が崩壊し、わずかな建物とこの酒造所だけが残りました。県内で唯一戦前の姿を残す酒造所です。
具志堅さん「昭和20年の12月ごろ、1番遅い方だったんですよ、自分は」
戦災で家を失った具志堅さん。戦前、父親がこの酒造所で働いていた縁で、戦後この酒造所で家族と暮らすことになりました
具志堅さん「戦後、最初はイモで作って、そのあとは砂糖で。イースト菌の話はしよったが、直接作ってないから分からない。イースト菌とジャムとかと言ってた。今だったら飲めないはずだけど、この時の酒は辛いですよ。おいしいとかじゃなく、酔うのが楽しみだった」
沖縄戦で壊滅的な打撃を受け、まさしく「ゼロからのスタート」だった泡盛作り。戦前、父親が泡盛を作る姿を心に刻み、戦後は思い出の酒造所で暮らした具志堅さんは父親と同じ作り手を目指したのでした。