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65年前のきょう、ひとりの警察官がアメリカ兵に射殺される事件が起きました。崎原恒喜さん(当時27)。玉城村の船越警察署に勤務していました。妻だった敏子さんはこう振り返ります。

敏子さん「頼りにされる人だった。板良敷の村中、何らかの心配事や悩み事があると、『恒喜、助けてくれ』と言うぐらいだった。」

沖縄県警察史によりますと、当時、アメリカ兵による婦女暴行事件が数多く発生しました。

「(アメリカ兵が)たくさんいるもんだから、怖くて道は自由には歩けなかった」

65年前のきょう、住民たちの畑仕事に警察官として付き添っていた恒喜さんは、女性を拉致しようとしていたアメリカ兵を発見、女性を助けようともみあいになり、ピストルで撃たれて亡くなりました。恒喜さんと敏子さんが一緒に暮らしたのはわずか1カ月でした。

「自分もあの時23、24ぐらいだったから、何をしていいかひとつもわからんかったさ。どうして生きていくかなって。」

殉職警察職員慰霊碑には恒喜さんの名前が刻まれています。

「もう思い出したくないね」「もう本当に嫌なことは忘れたい」