※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
65年前、わずか18才で戦争に動員されたずいせん学徒。その記憶を、後輩に語り始めています。
仲西さん「もうほんとうは戦争の話しはやりたくないですよあの当時のことは」
沖縄戦当時首里高等女学校4年生だった仲西由紀子さんはずいせん学徒隊として沖縄戦に参加,戦闘の最前線摩文仁で捕虜となり33人の友人を亡くしました。その後、収容地で小学校の教員を務めます。
仲西さん「現在を楽しく生きることしか教えなかった。戦争の話しはやりませんよ、みんな惨めな思いをしてきているから」
北部収容地から中南部への旧居住地への移動が許可されたこの頃、仲西さんはようやく数か月前の弟の死を知ったのでした。
仲西さん「一中の通信隊で最初に爆弾でやられたみたいです」「10月ごろでしたかね、首里に帰ってきたからしか分からなかったです、亡くなったのは」
首里高等女学校ずいせん学徒隊の生存者も、ことし84歳。亡くなった33人の友人、そして家族のためにも事実を多くの人に伝えようと後輩にあたる首里高校染色デザイン科の生徒たちに自らの戦争体験を語り継いでいます。
仲西さん「沖縄の土はたくさんの人が死んで肉と血で作られている戦争だから戦争はいけない絶対に」