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首里城の今を伝える「復興のキセキ」です。沖縄のシンボル・首里城。ただ歴史を振り返ると、消失と再建を繰り返してきました。その首里城を幾度も救った人物がいます。

戦争により失われた沖縄文化の復興、そして平成・令和と首里城の復元に大きく寄与する研究者に迫ります。

首里城の復興が進んでいます。正殿を象徴する・唐玻豊には赤瓦がのせられ、ぐっと元の姿へと近づきました。屋根の上では、瓦に漆喰を施していて沖縄らしい赤と白のコントラストに目を惹かれます。

真剣な眼差しで作業する職人たちが目指しているのは、18世紀ごろの首里城。そもそも首里城は、過去のある時期に存在した建物を再現する復元施設。再建には、復元の根拠となる資料が不可欠です。

「首里城を救った男」鎌倉芳太郎 残した記録で蘇る「令和の首里城」

令和の正殿は、前回の首里城をベースに工事が進んでいますが、実はその「平成の首里城」を再建する時には、戦地となり、多くの文化財が失われた沖縄には復元の手がかりとなるものはほとんどありませんでした。

そんな最中、島のシンボルを救ったのは、沖縄を愛する研究者が残した資料だったんです

1921年。沖縄にやってきた一人の男性がいました。鎌倉芳太郎。香川県出身、東京美術学校(現在の東京藝大)を卒業し、美術教師として2年間沖縄に赴任しました。

「首里城を救った男」鎌倉芳太郎 残した記録で蘇る「令和の首里城」

のちに「型絵染(かたえぞめ)」人間国宝となる芳太郎。心奪われたのは「沖縄の文化」です。帰京後も度々沖縄を訪れ 断続的な調査は16年にも及びました。

そんな芳太郎の足跡が県立芸術大学に、大切に保管されています。鎌倉芳太郎 フィールドワークの記録、通称:鎌倉ノート。

「首里城を救った男」鎌倉芳太郎 残した記録で蘇る「令和の首里城」

全81冊に渡るこのノートには、北は奄美 南は八重山(波照間)まで地域に伝わる風俗や美術工芸品のスケッチなどが大学ノートの一面に万年筆でびっしり書き込まれています。

地域によって異なるしまくとぅばもこのように、「アルファベット」でルビを振っていました。こうした取材ノートを含め、残した資料は実に7500点以上にのぼります。

芳太郎の死後、すべての資料は沖縄県に寄贈され、戦争で失われた島を知る貴重な「宝」となりました。

県立芸大 波照間永吉 名誉教授「100年前と現在を比べて見ることができる。非常に面白い」

鎌倉芳太郎研究の第一人者、沖縄県立芸術大学の波照間・永吉名誉教授です。

「首里城を救った男」鎌倉芳太郎 残した記録で蘇る「令和の首里城」

県立芸大 波照間永吉 名誉教授「おそらく日本でもない、中国でもない、まさにこの琉球・沖縄には北・西の大きな国の文化に得るものは得たと同時に、この土地ならではの文化として築き上げた。そこに鎌倉先生は非常に驚きというのか、価値を見出して、琉球文化・芸術文化の研究に進んでいくことになったと思う」

芳太郎と切っても切り離せないのが「首里城」との関係です。琉球処分後、王城としての役目を終えて老朽化が進んでいた首里城。1923年には取り壊しが決定されます。    それを知った芳太郎は建物の保護を訴え奔走。危機を脱したことから「首里城を救った男」としても知られます。

ただ、芳太郎が首里城を救ったのはこの時だけではありません。

県立芸大 波照間永吉 名誉教授「百浦添御殿普請日記、見絵図並びに御材木寸法記と書いてある」

「首里城の復元なくしては沖縄の戦後は終わらない」県民の強い思いを背景にスタートした平成の首里城の再建。

その際に復元の根拠となったのは、芳太郎が模写していた1768年の正殿の大修理を記録した「寸法記」です。

「首里城を救った男」鎌倉芳太郎 残した記録で蘇る「令和の首里城」

県立芸大 波照間永吉 名誉教授「(向拝)柱、桐油朱塗に、金龍五色之雲。金の龍で、昇り龍は金色で、5色の雲が描かれている。こういったことをちゃんと指定している写真では白黒でしか見えなかったものが、色彩がイメージできるようになっている。そして図が非常に克明」

その他にも、柱や壁の位置を示した平面図など、芳太郎が残した資料は世代を超えて役立てられ、平成の首里城が完成します。それゆえ、芳太郎は首里城を1度のみならず「2度救った男」と言われています。

さらに、当時の写真技術では最高とも言われる「ガラス乾板」を使い数多くの建物や琉球の芸術品などを撮影。特に、令和(今回)の復元では、芳太郎が正殿を撮ったガラスの原版を、現代の技術でデジタル処理することでより細かな情報を読み取れるようになりました。

画像を拡大してもピントがずれることはなく、古くなっているとは言え、当時の正殿の様子がはっきり見て取れます。

「首里城を救った男」鎌倉芳太郎 残した記録で蘇る「令和の首里城」

県立芸大 波照間永吉 名誉教授「高精細画像で平成の正殿とは違う。表情の異なるものが出来上がってくる。これはもう鎌倉先生の写真のおかげ。本当にすごい。100年後、このような仕事に役立つ資料・写真を残した、そこが鎌倉先生の写真術であったり、芸術家であるそういった所以だと思う」

そんな鎌倉芳太郎にまつわる、ある取り組みが始まっています。

県立芸大 波照間永吉 名誉教授「沖縄の歴史・文化に対する貢献を記念して、この場所に鎌倉芳太郎先生の顕彰碑をつくる運動を行っている」

「首里城を救った男」鎌倉芳太郎 残した記録で蘇る「令和の首里城」

来年1月にお披露目される顕彰碑。設置場所には芳太郎の資料が所蔵され、首里城が見える県立芸術大学の敷地が選ばれました。

県立芸大 波照間永吉 名誉教授「首里城にこれから行く人も、首里城から帰る人も、鎌倉先生の顕彰碑を見て、先生の沖縄文化に対する貢献、愛情を感じてもらえたら」

芳太郎が残した数々の資料、研究をもとに前回の復元以上により往時の姿へと近づく令和の首里城。沖縄に魅せられ、沖縄を愛した鎌倉芳太郎の思いは、世代を超えてこれからも受け継がれていきます。