沖国大ヘリ墜落事故について考えるシリーズ「危険性、今も」は4回目の今回で最終回になります。きょうは、当時現場で取材していた、報道関係者の目に、事故がどのように映ったかお伝えします。
記者たちはアメリカ兵の妨害に遭いながらも、取材を続け、何が起きているのか伝え続けました。事故の扱いの大きさについて県内と県外のメディアで大きな差も出ましたが、基地問題に対してどのように向き合うべきなのか、改めて考えます。
磯野直さん「(現場に着いたときは)火は完全に消えていて、印象としては、いわゆるあの臭い」「航空燃料の焼けた臭いがとにかく充満していて、完全に米兵が占拠している状態の中に突っ込んでいったという感じですね」
沖縄タイムスで当時、宜野湾市担当記者だった磯野直さん。一報を受け、現場に駆けつけました。
磯野直さん「当然(沖国大へ車で)走っている途中はたくさん亡くなった人であるとか、けがをした人が出ていると。あんなところに落ちたら無傷であるはずがないと思っているからとにかく大変なことが起きたと思いながら現場に着いた」「米軍がここが必要だと思えば使える。基地として接収できる。なぜここまで米兵たちが我が物顔で占拠できるのかと考えたとき」「ラインというものは、基地のそばのフェンスだけじゃないのだと」「思い知らされた」
取材の準備をしているクルーに突如、向けられたアメリカ兵の横暴な態度。
謝花尚さん「カメラマンがいて、私がいて、アシスタントがいて、そこで撮影を妨害する動きがあるわけで、手でやったり、帽子でかぶせたり、妨害行為があった」
QABで基地担当記者だった、謝花尚さん。異常な妨害姿勢を見せる兵士に抗議の意思を見せます。
謝花尚さん「ここは沖縄だと。民間地域だと。お前たちに俺たちを妨害する権利などないと」「ある意味恐怖を感じるような、怒りと恐怖をこれだけ強く感じるものはなかった」
ラジオ音声「けが人がどうなっているか、すべて米国の仕切りになっておりまして。日本の警察官も来ているんですが、わからないという状況」
事故当日、現場に立ったのは新聞やテレビの記者だけではありませんでした。
ラジオ音声「アメリカのミリタリー服をまとった関係者がですね、黄色いロープを張ったりして、通行止めをかなり長い距離をとって、一般の人もマスコミもちょっと入れない状況になってます」
宜野湾市内に住んでいた、フリーアナウンサーの吉澤直美さん。現場近くに住む知人から一報を受けて向かい、現場から携帯電話を片手に、ラジオ沖縄の番組内でリポートを続けました。
吉澤直美さん「立ち入り禁止という黄色いテープが張られていて、私たちは沖縄の者は入れてもらえないと伝えるべきと思いました」「こんなことが起きて、これまでも米兵とか米軍のものがたくさんある中で、これも報道さえもできないかと。そこは伝えたいと思い。黄色いテープという言葉を入れました」
駆けつけたラジオ沖縄のスタッフと交代した吉澤さん。夜になって、再び様子を見に行ったといいます。
吉澤直美さん「ライトも立てて、防護服を着てヘリを片付けようとしているのを見たんですよ」「衝撃を受けました。何か危ないものだったのだろうか」「私たち住民は何も知らされていないのに、片付けている人たちが防護服を着ている。何が起きているのか本当に怖かった」
のちに、放射性物質が現場にあったことも明らかになっています。事故発生以降、QABのスタッフは取材と並行して、県内外に向けて、現場から中継を続けていました。しかし、この日の話題の中心はアテネオリンピックの開幕とプロ野球巨人の渡辺オーナーの辞任。県外ではヘリ墜落事故のニュースは、小さな扱いでした。
謝花尚さん「沖縄で起きた事故の大きさ事の大きさを考えるととても小さい扱いだと思った。沖縄で起きた基地問題を大きな扱いをしてこなかった。それが事故が起きて」「『人は死んでいない』『そのくらいの順番、枠の大きさでいいか』と繋がったのではと推測する」
一方、沖縄タイムスや琉球新報など県内の新聞は、翌日の朝刊などで大々的に報じます。県民の反発をよそに、政府の対応は冷淡きわまるものでした。
小泉総理(当時)「(柔道の)谷さんと野村さんね。連続して金メダル」「はらはらしながらもきのうずっとテレビ見てましたよ」
夏休みを理由に、稲嶺知事などの面談を断った当時の小泉総理。そのさなか、オリンピックでメダルを獲得した選手と、テレビカメラの前で、談笑する様子が報じられます。
磯野直さん「当然沖国への言及、ヘリ墜落への言及は一言もない」「おそらくカメラの向こう側にいるであろう総理大臣担当の記者たち」「一言も質問しない」「結託して(ヘリ事故に)無視を決め込むような光景に俺は見えて」「その場面は今思い出しても心拍数が上がる」「あの場面が忘れられない」「この沖縄で、沖国で起きたことには無視を決め込んだんです。当時」「無視を決めこむことで、大したことないというメッセージを米国であったり、国民であったりに発したんじゃないかと思う」「なかったことに、最初からなかったことにされている」
沖国大のヘリ事故から20年が経った今も、アメリカ軍機による重大事故は起き続けています。危険性はいまも放置されたまま、沖縄に基地が集中する構図を解決するための根本的な動きはなされぬままです。
謝花尚さん「日本の法律をも上回ってしまう日米地位協定・日米安保がある」「その中身は国民には詳しく知らされない」「毎月開かれている(日米)合同委員会で、改悪されていくという状況は許してはならない」「県民の生活・権利が害されるようなことがあった。それをメディアが察知したときに、しっかり県民・国民に伝えなければならない」「そうしなければ、あったこともなかったことになってしまうし」「伝え続けないと、忘れられてしまう」
吉澤直美さん「どんなに一生懸命伝えても、沖縄のことを伝えても今もそうだともうが、なかなか沖縄の現状を伝えるのは難しい」「沖縄にしても忘れてはいけない重大事故だった」「月日の流れを区切り区切りでもう一度伝えるのは、報道として大事」
磯野直さん「普天間飛行場を運用する。一機たりとも飛ぶということはもうそれ自体が罪だと」「本気で思っている」「基地問題に抜本的で即効性のある解決策というのは、ないですよね」「ないんだけれども、実際不条理はある」「不条理に対してしっかり声を上げる。上げ続けることが大変だし、根気のいる作業だが、権利とか自由とかを守ることにつながると思うんですよね」「そうであっても(基地の)ラインはどこまでもどこまでも拡大していってしまう」
国防の大義のもと、戦後沖縄に、置かれて続けてきたアメリカ軍基地。その基地と隣り合わせで生き、危険にさらされ続けている県民の訴えや願いを、内外にどのように伝え続けるか。
沖縄のメディアが県民に対して負う責任は、過去から決して、かわっていません。
金城アナウンサー「沖国大のヘリ墜落事故があった20年前、わたしは中学生になったばかりだったんですけども、ニュースで事故のことを知った後ですね、アメリカ軍機が頭上を通るたびにすごく怖くなった、落ちてくるのではと不安になったのを覚えています」「そして2016年に名護市安部の海岸での事故も取材したんですけれども、正直またこんな事故が起きるのかと衝撃を覚えました。同じように規制線が張られていて、近くには民家がありますし、またすぐにオスプレイの飛行も再開されたんですよね」「あまりにもここ沖縄で人々が生活をしているという認識が欠けているように感じました。いまも同じような事故が起き場合同じ光景が広がる可能性があるんですよね」「少しでもこうした状況が変わるように、私たち伝える側は、県民の目線に立って、発信し続けなければならないと強く感じました。」