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10月には運動会シーズンですが、65年前のこの頃、早くも再開した学校で運動会の練習に励んでいた少年がいました。
那覇市に住む宮城定吉さん(77歳)。7人家族だった宮城さんは南部で家族5人を失い、戦後は妹と二人コザの孤児院に預けられました。
65年前のちょうどこの時期、小学校では運動会の練習が行われていました。
宮城定吉さん「運動会の歌が非常に印象に残っている。『秋の夕日に照る山もみじ』っていう歌があるでしょ、その歌を歌って運動会の練習をした」
戦前までは家族団欒で楽しかった運動会。しかし、戦争で失ったものは大きく、本心は運動会どころではありませんでした。
宮城さん「今まではずっと戦争に追われて、孤児院でもまだ戦争の続きみたいで、そこで運動会の練習といってもなじめないものだから」
急に和やかな空気を作ろうとする大人に対し、11歳の宮城さんは違和感がぬぐえませんでした。
宮城さん「どうして、みんな戦争に勝つんだといって大人は一生懸命戦争のこと話して。戦争の懺悔とか、あんなのは話しないのかなと思って、どうしても腑に落ちなかった」
運動会は孤児院にいる宮城さんたちにとって、一層つらいものでした。
宮城さん「他の人は親がいて、こっちは親がいない。その惨めな気持ちとか寂しい気持ち、悔しいきもちとかいろんな気持ちが入り混じったんでしょう」
宮城さんは、11月までコザの孤児院で生活を送ります。