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鉄血勤皇隊員として沖縄戦に参加した当時17歳の神谷依信さん、糸満の摩文仁でアメリカ軍の捕虜となり、船でハワイへと送られました。
神谷依信さん「1500隻の軍艦で真っ黒になっていた。海の色が見えないくらい」
沖縄戦当時、県立一中の3年生だった神谷依信さんは鉄血勤皇隊の通信隊員として沖縄戦に参加しました。後輩にあたる首里高の生徒達に自らの体験を語る神谷さん。
首里高の生徒「自分だったら耐えられないです」「今、勉強とか部活動に一生懸命取り組めることがとても幸せなことだと実感した」
神谷さんは日本軍の牛島司令官が自決した後の6月26日、アメリカ軍に捕えられ捕虜となります。
神谷さん「摩文仁の海岸で、米兵に誘導されながら山の上にのぼって、トラックに入るところまで歩かされて」
神谷さんはその後、金武町の屋嘉収容所を経てアメリカのハワイ、シアトル、サンフランシスコへと送られ、およそ半年間、戦争捕虜としての生活を余儀なくされました。
神谷さん「悔しいということは通り越して、寂しい思いがした。もう、なるようにしかならないから」
沖縄に戻ってからは沖縄の本土復帰運動に携わり、国会議員の秘書として長く働いた神谷さんは、今の日米関係に強い疑問を持っています。
神谷さん「今の日本の状態は、アメリカに無理を言われて、道理が引っ込んでしまっている。沖縄戦の体験から見て、絶対、基地があれば攻めてくるから、アメリカの基地はない方がいいですよ」