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沖縄を占領統治していたアメリカ軍政府は戦後復興の一環として芸能を奨励し、収容所では様々な踊りや音楽が披露されました。
金武町屋嘉に設置された捕虜収容所です。収容所ではアメリカ軍の管理の下、芸能に使う舞台も作られました。捕虜や住民達は空き缶とパラシュートの糸を利用して作ったカンカラ三線を引き鳴らしたり、得意の踊りを披露しました。
アメリカ軍政府は戦後復興の一環として、また、捕虜たちのストレスを解消する手段の一つとして芸能を奨励し劇団「松・竹・梅」を組織させ、各収容所で上演させました。
食い入るように舞台を見つめる男達。その表情は戦争で心や体に負った傷や捕虜となった絶望感から、束の間とはいえ解き放たれているように見え、どんな時代や環境でも音楽や踊りが人々に癒しを与えてくれるものであることが伝わってきます。