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太平洋戦争中、石垣島から台湾へ向かった疎開船がアメリカ軍の攻撃で撃沈されてから79年。石垣市では2024年7月3日に慰霊祭が執り行われました。
1945年7月3日、戦火を逃れようと石垣島から台湾へ向かった2隻の船は尖閣諸島周辺の海でアメリカ軍の攻撃を受け1隻は沈没、残りは魚釣島に漂着したものの食糧難などで命を落とすなど80人余りが犠牲となりました。
2024年7月3日の慰霊祭には遺族ら20人が参列し読経が流れる中、慰霊碑の前で手を合わせていました。
このあと、あいさつに立った遺族会の宮良芳明会長は「2024年3月に石垣駐屯地が開設されて以降も防衛力強化の名のもとに基地機能の強化が進められている。過去の愚かな戦争を忘れ勇ましく戦争へ向かっていくかのような社会情勢に危惧している」と危機感を募らせました。参列した遺族らも例年にも増して平和に対する思いを強くしているようでした。