※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
鉄血勤皇隊の一員だった元沖縄県知事の大田昌秀さんが投降したのは65年前のこのころでした。当時の出来事が、大田さんのその後の人生に大きな影響を与えました。
沖縄師範学校本科2年生だった大田昌秀さんは学徒動員され、南部の激戦を経験、多くの学友を失いました。沖縄守備軍が壊滅した後も、大田さんらの隊は、戦争が終わったことを知らないまま、南部の壕に隠れ続けていたのです。
日本が降伏したことを知らされたのは日本兵の白井兵長によってでした。東京文理大学英文科を出た白井兵長は、大田さんが拾ってきたアメリカ兵の読み捨てた雑誌の英文をスラスラと読んで聞かせてくれたのです。
大田さん「自分の無知さ加減を知って、そのほうにショックを受けた。戦争に負けたショックよりもね。自分があまりにも学問の無いことに対して、ショックを受けたよね」
65年前のこのころ、ようやく敗戦を知った大田さんは、白井兵長らと共に投降しました。
大田さん「彼はもしも生き延びることができたら、君も東京に来て英語を勉強しろよ、と一言言ってくれたわけ」
その後、勉学に励んだ大田さんは県知事となり、基地問題などで再びアメリカと向き合うことになりました。