「戦後79年の慰霊の日」
「平和の火」慰霊の日に火が灯されるも今月の大雨の影響で故障。点火できず、それでも平和への思いは絶えない。
平和の礎。沖縄戦などの犠牲者の名前が国籍問わず刻まれる今年181人が追加され24万2225人に。
参列者「これが祖母、これが親父ですねこれが二男、これが3男、これが4男」「6メートル離れたところの斜面で私と母はしゃがんでいた。そして、ここで爆発がしよったもんだから、あわてて駆け付けた時に(亡くなった)現場を確認しました。第一に平和ですね、融和ですね、そういうことがあればどんな苦労でもしのげますよ、まずは、沖縄の言葉、命どぅ宝と」
「残念でしたね」
祖父母、父、兄亡くす 南城市 参列者(81)「私はあんまり戦時中のことは覚えていない、戦後ね、飛行機が飛んだらガタガタ震えていたの、もう忘れない怖かった、飛行機の音が。今79年目になりますよね、沖縄なんてね、何千年経ってもそれは忘れない、忘れてほしくない。私はあと何年も生きないですけれど」
戦後79年経過で体験者も減少。継承のバトンを受け取る若い世代の姿も。
孫と祖父「(戦争は)人殺しだもんね、世界のニュース見ても、瓦礫とか、子どもたちが死んでいくとか」「まずやっていいことがない」「ああ、いいことがない」
姉と弟「こんなにたくさんの人が亡くなったのだと思うと、この時期が近づくと胸もいたくなる」
魂魄の塔。戦後、野ざらしになっていた遺骨を住民たちが集めて供養。
兄2人が戦死・嘉手納町(92)「戦争は絶対にやってはいけない」「これを誓った」「兄貴たちで最後」「戦争はやらん」
平和行進。ひめゆりの塔から平和祈念公園(約4km)約300人が参加、今年で63回目。
祖父と参加(19)「戦争の悲惨さっていうのはおじいちゃんが知っていると思うので色々話聞きながら歩いていきたい」
祖父などが戦死(49歳)「御霊を慰めるために一所懸命歩いて、平和祈念公園では自分の娘たちが待ってますので一緒に慰めたいと思います」
行進後、家族4世代で平和の礎へ。
隆幸さん「ありありあった!」隆さん「こっちが大きいおじいさ。」「来年は(戦後)80年になるということだからね。みんな多分元気にやって、一緒に来られればなとおもっています。」
追悼式には約4500人が参加。
玉城知事・平和宣言「今の沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊を慰めることになっているのでしょうか。」
岸田総理「今もなお、沖縄の皆様には、米軍基地の集中等による大きな負担を担っていただいています。政府として、このことを重く受け止め、負担の軽減に全力を尽くしてまいります」
平和の詩「これから」宮古高校3年 仲間友佑
人は過ちを繰り返すから時は無情にも流れていくから今日まで人々は恒久の平和を祈り続けた。
小さな島で起きたあまりに大きすぎる悲しみを手を繋ぐように受け継いできた。
それでも世界はまだ繰り返してる。七十九年の祈りでさえもまだ足りないというのなら、それでも変わらないというのなら、もっともっとこれからも僕らが祈りを繋ぎ続けよう。
限りない平和のために僕ら自身のために、紡ぐ平和がいつか世界のためになるそう信じて。
今年もこの六月二十三日を平和のために生きている。その素晴らしさを噛みしめながら。