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戦争で多くの人が家を失いましたが、その住宅不足を解消しようと考案された仮設住宅が次々と建設されました。
戦争ですべてを焼かれた住民たちは収容所に集められ、窮屈なテント生活を送っていました。
そんな状況を解決しようと、沖縄諮詢会の松岡政保と仲座久雄は仮設住宅を考案しました。
アメリカ産の材木を使った骨組みに、壁と屋根はテント張りか萱葺きで、床面積はおよそ6坪という一定なつくりのために「規格に沿った家」という意味で「規格家(きかくやー)」と呼ばれていました。
簡素な作りではありましたが、大量生産が可能なため、1945年8月から3年間に7万5000棟が建てられ、戦後の住宅不足の解消に一役買いました。