アメリカ軍の新型輸送機オスプレイを辺野古に造る新たな基地でも使用することについて、政府は日米間で協議していることを始めて明らかにしました。
さらに自衛隊も辺野古に常駐することを目指している事実が明らかになり、普天間基地の代わりの施設というイメージから程遠い実像が見えてきました。
この映像はアメリカのCNNで放送されたシーン。ニューヨークで行われた海兵隊のイベント中、公園内のグラウンドに着陸しようとしたオスプレイが木立の上を通過したそのとき、猛烈な風圧で木の枝が折れ、枝が見物客を直撃。10人がけがをしました。
事故の原因は機体のトラブルではないということですが、オスプレイのローターの力の凄まじさがわかります。
岡田外務大臣「オスプレイをどうするかという議論もある」
先月31日、辺野古に造る基地の位置や工法を検討した日米専門家協議終了後の会見。岡田外務大臣は報告書に飛行経路を記せなかった背景に、オスプレイの配備があることを明かしました。
オスプレイの配備について、政府はこれまで隠し続けてきました。
辻元衆院議員「オスプレイの配備について、アメリカから打診、または提案、日本側と一切協議していないと考えていいのですか」
額賀防衛庁長官(当時)「私は承知しておりません」
政府担当者「今ご質問のオスプレイに関しては、SACOの時点でも米国側として日本にオスプレイを配備する計画はないということで確認しています」
しかし、1996年のSACOの最終報告の素案に「海上基地はヘリコプターとオスプレイの部隊の所属基地として設計される」と書かれたのが、日本の強い要請でオスプレイの文字が消されたことがわかっています。
ウェバー四軍調整官(当時)「我々はオスプレイを2014年から2016年の間に沖縄に配備する予定です」
2006年には当時の四軍調整官が業を煮やしたようにこう記者団に明かしますが、政府は一貫して知らぬ存ぜぬを通してきたのです。
北沢防衛大臣「私が特に重要で真剣に検討していきたいと考えているのが、代替の施設を自衛隊が米軍と一緒に使用できないかということでありまして」
辺野古に造る計画の基地を自衛隊も使いたいと意気込む北沢防衛大臣。
名護市民「(Q:辺野古に基地を造ろうとしていて、そこに北沢防衛大臣が自衛隊も使いたいと言っていますが)私は反対ですね。安全じゃないから。なんか怖い。また戦争でも来たら怖いから、私は反対です」「それはやっぱり反対ですね。基地自体も反対なんですけど、さらに日本の国の自衛隊まで一緒にそういう戦争につながるそういったことで使うというのは、やっぱり反対ですね」「米軍と一緒の訓練が行われるんじゃないかっていう懸念もやっぱり出てくると思うんですね」「反対だな。自衛隊そのものが発足当初から沖縄の人は絶対反対じゃなかったですか、自衛隊を持つということはね」
北沢大臣の発言はこれにとどまりません。
北沢防衛大臣「施設を自衛隊と米軍が共同使用することが、日本の安全保障はもとより、地元の方々と自衛隊と米軍の三者の間で、より強い絆を作っていくための一助となるのではないかというふうに考えております」
名護市の稲嶺市長は不快感をあらわにします。
名護市・稲嶺市長「大臣もそうでしょうけれども、本土の皆さんが自衛隊に対する受け入れの感情と、沖縄県民が持っているその感情というのは違うと思うんです。共同使用することによって、基地の機能は強化される。強化されることによって地元にはさらに負担が増える、というだけのことであって、それ(自衛隊が来ること)が地元にとっても受け入れやすいものになるということは、これは大きな誤りだと思う」
沖縄の本土復帰。アメリカ軍基地は減らず、そのうえ自衛隊が配備されるということに、県民は憤りました。
石原昌家・沖縄国際大学名誉教授「なんとも恐ろしいことを話してると」
沖縄戦研究の第一人者、石原昌家名誉教授はこう語ります。
石原名誉教授「沖縄戦の体験者や亡くなった人たちにとっても、死者を冒涜するような言葉。沖縄県民の中には、米軍の基地を撤去したら今度は逆に自衛隊が配備されるのではという懸念というのはかなり前からあった。この北沢大臣の発言というのは、それを裏付けるような発言だと思う」
そして、県内で自衛隊を誘致する動きがある中でこう警鐘を鳴らします。
石原名誉教授「沖縄は、アメリカ軍の関わる戦争にもう戦後65年、一貫して関わらされてきているわけです。これはまさに『加害者』と言う立場も、他国から見ればあるわけで、そのへんをやっぱり強く認識しないといけないと思う。そうでないと『世界平和の発信地』というふうには言えないと思う」
自衛隊の南西諸島の展開は明らかに強化の一途をたどっていて、沖縄戦を研究する石原名誉教授でなくとも危惧するところですが、辺野古への基地を自衛隊が使うという大事な話がなぜ今、ついでのような形で出てくるのでしょうか。
2006年にV字型で日米合意したとき、キャンプハンセンなどの共同使用は書かれていて、その後、実際に進められてきました。
当時の佐藤那覇防衛施設局長は、共同使用を拡大していくとも言っていましたが、辺野古に造る基地について明らかになったのは今回が初めてです。
オスプレイについては政府は隠していて、メディアも何度も追求してきた。一方で共同使用については比較的注目されてこなかったということもあると思います。こうしてどんどん進められることに危機感を感じます。