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終戦を迎えても日本軍による住民虐殺が続いた久米島。65年前のきょう その日本軍は、アメリカ軍に投降し久米島から 完全退去しました。

譜久里廣貞さん「こっちに兵舎小屋があったんですよ鹿山がそこにいたんですよ。」

鹿山隊長率いる日本軍に壕を掘るように命令され作業をしたのは、譜久里廣貞さん81歳。うっそうとした木々が生い茂る中必死に陣地構築に励んでいたといいます。

譜久里廣貞さん「80メートルぐらいあるはずです。ただこんなところ何に使うつもりだったのかね。」

今も土を運び出すために使用したとみられる滑車の後などが残されている。島の人たちにとって怖い存在だった日本軍。65年前のきょう、譜久里さんは、投降する日本兵たちを目撃しました。

譜久里廣貞さん「ただ我々も恐る恐る見ているわけですから。どんな格好でしたか?軍服姿ですね。」そのとき 降伏しにいくって事はわかっていたんですか? 譜久里廣貞さん「分らない 鹿山は、日本刀をさげてね」「堂々としている感じ」負けた悲しいという感じでは無かったですか? 譜久里廣貞さん「そんなのは、ないですね。」

譜久里さんは、住民虐殺を命令した鹿山隊長が堂々と投降する姿に驚いたと話します。この場所へ集められた日本兵は、およそ40人。アメリカ軍に久米島から完全退去を命じられ、船で屋嘉収容所へとむかいました。久米島は ようやく日本軍の恐怖から逃れたのです。