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「通信隊」として戦場に駆り出された少年。日本兵のたった一言が彼の戦後を救いました。
慰霊碑に手を合わせるのは65年前、わずか14歳や15歳で戦場に動員された宮平盛彦さんと井口恭市さん。同じ部隊に所属した2人でしたが、戦後の状況は全く違っていました。
終戦を知らず11月の半ばまで南部を逃げ回っていた宮平さん。一方で、8月下旬には既に家族とともに、名護で暮らし始めていた井口さん。それはある日本兵のお陰でした。
井口さん「ある日本兵がこの人たちは学生だよって英語で言うのね。デイアースクールボーイズって」
『彼らは学生だ』壕から出て捕虜になった時、そばにいた日本兵が井口さんをかばってアメリカ兵に伝えたこの一言。そのおかげで、まだ少年だった井口さんは兵隊と一緒に収容所に連れていかれることなく、家族とも早くに再会することができたのです。
あれから65年。井口さんは今でも、なぜ幼い少年までもが戦争に駆り出されたのか問い続けています。
井口さん「家族を持ち、恋をして。そういうこともできなくて、日本は負けない、絶対勝つと信じていたんでしょう。こんなことは起きないように、人間性を失うような戦争はやるべきではないと感じます」