3月11日。きょうは東北地方に未曽有の被害をもたらした東日本大震災から13年です。あの出来事をきっかけに今も復興に向けて歩む東北とのつながりを持ち続けています。
災害プラットフォームおきなわ理事稲垣暁さん「岩手の大槌町には18回足を運ばさせてもらった。学ぶことも多いし。それを沖縄の地域とか学校とか行政で伝えるのも自分たちの役割かなと思って」「13年間ずっとつながっている」
社会福祉士・防災士として沖縄から今も東北とつながり、被災地の状況を伝え続けている稲垣暁(いながき・さとる)さん。新聞社に勤めていた34歳の時に阪神・淡路大震災で被災してから災害や防災と向き合い続けています。
13年前、10メートルを超える津波に襲われ町の跡形(あとかた)もなくなった東北に稲垣さんは沖縄大学の非常勤講師として28人の学生たちを連れて入りました。
災害プラットフォームおきなわ理事稲垣暁さん「学生は何をしゃべっていいのか分からない。ただ涙を流すだけ。それでいいから僕がきっかけを作るからひたすら涙を流すだけでいいのでそれをしましょうということをやって」
稲垣さんが目指したのは被災した人たちに寄り添い震災を経て被災地とつながり続けること。沖縄からでもできることを学生たちと模索しました。
災害プラットフォームおきなわ理事稲垣暁さん「(被災した人は)夏服も(津波で)流されているという話を聞いて沖縄に戻ってから持っているかりゆしを大学で集めて学生たちがアイロンをあてて、被災地に送ってそれを着てもらおうという活動をした。(沖縄から)できることは何かを考えていこうとなったと思う」
先週、40人ほどが参加して行われた防災講座。沖縄で起こりうる地震や津波への備え、そして”多様性に配慮した防災”への知識を深めるためのものです。
参加した人「正月に能登半島地震があったので沖縄も危ないかなと」「備えは大切かなと思って参加している」
参加した人「防災に対する意識は県内外で必須になってくるのかなと」「他人事じゃない自分ごとにしなきゃいけない」
いざという時に備えるため稲垣さんは自分の経験をもとにこれまでに取材した沖縄の課題を参加者たちに伝えます。
【課題①建物の脆弱性】
災害プラットフォームおきなわ理事稲垣暁さん「3階建ての1974年に建築された古い建物」「パイプで上の階を押さえている。2階の廊下の壁がない。なんでパイプで押さえているのと聞いたらパイプで押さえないと2階が落ちてくるんですと言う。しかも2階の壁を取らないと重いからやばいと言って壁を取ってしまって網を張っている」
【課題②身を守るための対策】
災害プラットフォームおきなわ理事稲垣暁さん「沖縄のあるお家のキッチンを拝見した」「何が一番危険か。ひとつは電子レンジとかオーブントースターとか飛ぶもの。阪神淡路大震災で私たちが経験したあの揺れでは液晶のテレビがだいたい5メートルくらい離れたところにあったが向かいの壁に突き刺さっていた。それくらいの勢いで飛んでくる」
それでも短い時間で伝えられる内容はほんの一部。日常を失い誰もが被災者になる可能性があることを忘れないために、災害が起きても人と人がつながる沖縄を目指しています。
災害プラットフォームおきなわ理事稲垣暁さん「(被災した人にとって)一番ありがたいのはそばにいて黙って聞いてくれる人ただいてくれる人。そういう関わり方を沖縄県民は沖縄戦を通じてしてきたので今後起きていく本土の災害あるいは沖縄県内で起こった災害でもそういう関わりをしていく。県民が増えていくように頑張りたい」
東日本大震災から13年が経っても今だ2520人の行方が分かっていません。
稲垣さんは行政が行う避難計画の作成などにも関わっていて今後は災害の時に沖縄にはどんな困難があるのかなどを検証しその体制を作るためのきっかけになりたいとも考えています。