見学エリアのガラス越しからも細かな職人技を見ることができますが、見ているとみなさん一体どんな人なんだろうと気になってきませんか?今回は、再建に関わる職人たちの「素顔」に迫ります。
ヒノキの香りが立ち込める再建現場では、ありし日の姿がくっきりと見えてきました。去年、3階建ての正殿の柱や梁を組み上げていく建方工事が一段落しました。現在は、軒回り部分に使われる木材の加工や据え付けも始まっています。
ベテランから若手まで県出身者12人を含む(およそ)35人の宮大工が日々、汗を流していてなかには平成の復元を経験した熟練の職人もいます。どんな思いでそして、何を励みに再建に携わっているのでしょうか?
棟梁 近藤克昭さん「行きたいなとは思っていたので何かお手伝いできたらいいなと思っていたので」
令和の再建を指揮するこの道25年の近藤克昭棟梁。首里城との縁は深く、国王と王妃の居間や寝室があった「黄金御殿」や国王の休憩所「奥書院」の復元などにも関わってきました。令和の復興では、「原寸図」という図面上だけでは分からない屋根のそり具合など細かな寸法の確認に欠かせない実物大の設計図を作成しました。
棟梁 近藤克昭さん「見られても恥ずかしくない仕事をずっとしていけば必ず良いものが建てられると思っているのでそれを早く沖縄の人たちに見せられたらいいなと完成した姿を見せられたらいいなと思う」
近藤さんは福井から単身赴任で沖縄にやってきました。家族と離れて暮らす毎日のなか、活力となっているのは…
棟梁 近藤克昭さん「やっぱりお酒ですかねよくみんなで飲みに行ったりもするので楽しく過ごしている(Q.泡盛とか?)飲みますね。飲みに行っていても隣で飲んでいる人と仲良くなったりしちゃう」
県民との交流がかけがえのないひと時になっているといい、お気に入りスポットは栄町で、ほぼ毎週末通っているそうです。お酒が好きな近藤さんは正殿が完成した時にかわす「祝杯」を心待ちにしています。
棟梁 近藤克昭さん「みんながけがなく無事建物が建っていってくれればいいな。最後はみんなで飲んで良かったねって笑ってお酒が飲めればいいなと思う
知念秀さん「飲むことと肉を食べることが好きなのでよく肉を食べに行っている」
「肉」がパワーの源だという、知念秀さんは豊見城市出身、この道5年の大工です。
現在、正殿の屋根を支える土台となる木材「垂木」を据え付ける工事を担当しています。
知念秀さん「ニュースで首里城が燃えたことを知ってどんな形でも良いので携われたらと思っていたので」
首里に住む祖父母を訪ねるたび、真っ赤な沖縄のシンボルを眺めるほど首里城が大好きな知念さんは何としても復興を手伝おうと再建現場の関係者と親交があった親方に頼み込んで、今、この場に立っています。
知念秀さん「大変ですね大変だけど楽しいこともいっぱいありますね学ぶことが多いので毎日楽しいですね」
これまで一般住宅の建築に関わってきた知念さんにとって木材の大きさなどスケール感に圧倒されることも多いと言います。
「いつか、自分に生かすため」手掛けた場所を写真におさめて記録するなど先輩(大工)の指導を受けながら日々技術を磨いています。
知念秀さん「教えてもらったことを全部盗んで修理などでは教えてもらわずに自分たちの力で何十年後かまた(今)やったところを直したりしていきたい」
後藤亜和さん「聞くは一瞬の恥聞かぬは一生の恥ともいうので今のうちにたくさん聞けることは聞いて学んでいけたら」
去年10月に現場入りした北中城村出身の後藤亜和(あや)さんは大工になって3年、現場最年少の21歳です。このチャンスを生かしてスキルを高めたいと意気込みます。
後藤亜和さん「こんなにいろんな人から話を聞いたり高いスキルを持った大工さんから学べる機会はなかなかないと思っているので丁寧に教えてもらえることに本当に感謝しているし、その機会を生かして自分が知りたかったことや道具の使い方を今のうちにいろいろ学んでいけたらと思っている」
後藤さんの「活力」となっているのが…
後藤亜和さん「母にお願いしています。(大工仲間→きょう間違えたんでしょ)きょう妹の弁当と取り間違えました」
母・典子(のりこ)さんお手製のお弁当です。力仕事が多い現場を考慮して量を多く入れてもらっているそうです。
後藤亜和さん「母の存在は大きいなってすごく思っている。何か相談するときも私何でも母に相談しているので。いつも私の分だけじゃなく他の兄弟の分も作っているので朝早くからありがとうございます。早いうちに自分でつくれるようになります」
首里城の現場にはもう一人後藤さんが!島根県から来たこの道50年の大ベテラン・後藤史樹さんです。県外出身者の宮大工のなかでは最年長です。
後藤さんは現場の盛り上げ隊長的な存在です。首里城Tシャツをつくり去年、宮大工仲間と妻・摂子(せつこ)さんと一緒にNAHAマラソンに出場!首里城を模した帽子にチョンダラーメイクにと、まさに「沖縄」を身にまとって走りました。
後藤史樹さん「完走したんですけど完走は完走でも国際通りの完走と」
現場を盛り立てるだけでなく確かな技術で職人たちを牽引する頼れる存在です。
国頭村で切り出され、木曳式や木遣行列の儀式に用いられた「オキナワウラジロガシ」の梁加工をおよそ2か月かけて一人で行った人物でもあります。
後藤史樹さん「(ウラジロガシの加工は)暑さもありそれから体力的にもちょっときついところもあった。その中でやっぱり一番のエネルギーを貰ったのが観光客。目線が合うとどうしてもガッツポーズであいさつするというそうすると皆さんほとんど頑張って頑張ってというのが見える」
作業を見に来た人から貰ったパワーへのお返しと言わんばかりに、後藤さんをはじめ、宮大工たちが始めたことがあります。木材を削った時の「鉋屑(かんなくず)」で使った作品です。手仕事のすごさを伝えたいという思いが詰まっています。
後藤史樹さん「これをちょっとしなやかにするために水で濡らす」
地元の敬老会で学んだん縄をねじり合わせて1本にする「縄を綯う」技術を「かんなくず」に応用しました。手と足を器用に使い…あっという間に縄ができます。
後藤史樹さん「大工の仕事も一緒でやはり機械加工で今工期も早くできる。ただ100年以上前までの4回の再建というのは機械はないわけで電気もない。そういう時の大工さん、どういう風にして仕事をしたのかという所、私は一番そこを考えたい。それを考えるとやはり今の若い人たちが電動工具を使うというところそれはそれとして、じゃあ昔の大工さんはどうやってやったんだというところをやはり考えてほしいなと」