主に15歳以下の子どもに多く見られることから成人の発症は稀で「10万人に1人」といわれる「急性リンパ性白血病」を27歳の時に患った男性がいます。抗がん剤の投与や骨髄移植によって命をつなげられた自身の闘病体験を明かしてくれました。死を意識したこともあったという彼を支えたのは高校球児だった時のかつての仲間たちでした。
新年早々、朝からグランドで仲間とキャッチボールをする男性がいました。宮平永橋(みやひら・えいたか)さん(29)です。血液のがん「急性リンパ性白血病」との闘いに打ち勝って3年ぶりにOB会に顔を出すことができました。
宮平永橋さん「久しぶりに野球ができるということですごく楽しみにしていました」
仲間に支えられたくさんの協力を得られたことでつらい闘病生活を乗りきれたと感謝しています。
「2年間全然来れていなかったので彼は病院にいたので久しぶりに来て野球をやって少しでも走れるようにもなっていたので元気な姿をみたらホッとしました」
今から12年前、高校球児だった宮平さんは甲子園に出場することを夢見て白球を追いかけていました。高校3年生で迎えた最後の夏の大会では当時、沖縄大会を制した浦添商業と3回戦で対戦して同点タイムリーを放つなど活躍を見せましたがチームは敗れました。
宮平永橋さん「やることやったので高校3年間というか小学校からやってきた集大成で小中は泣いてばかりだったので、最後は気持ちよく終わりたいと思って涙はないです」「熱い夏でした」
高校卒業後は大学進学ために島を離れました。その後、東京で就職をしました。仕事にプライベートにと充実した毎日を送っていた宮平さんをおととしの夏、「身体の異変」が襲ってきました。
微熱が出たかと思えば数時間後に治るということを繰り返したり体がダルくて、やる気がでないといった「倦怠感」が続くようになったのです
宮平永橋さん「会社の健康診断で健康診断の病院に向かう途中にちょっと駅で貧血でめまいがして倒れて」
精密検査を受けた結果「急性リンパ性白血病」と診断されました。
宮平永橋さん「不治の病ってイメージがあったので、聞いたときは正直、もう死ぬのかなってのが頭に入って来て、医者からの話とかも全然入ってこなくて」「抗がん剤ってどういう治療なんだろうとか、やっぱきついのかなっていう不安はあります。」
国立研究開発法人国立がん研究センターの調べによりますと全国で「白血病」の診断は14318例(2019年)死亡数は8983人と危険な病気です。
中頭病院 森島泰雄医師は「白血病」を放っておくと命に関わる危険な病気と警鐘を鳴らします。
森島泰雄医師「白血病とは血液の細胞成分として赤血球、白血球、血小板があるその中の白血球ががん化して血液の中にいっぱい出てくるとそういう病気です」「悪いがん化した細胞は血液にいっぱいあると貧血が起こってフラフラしたり、疲れやすいとかいうこともありますし、正常な白血球が少なります。そうすると感染が起きます 重いと脳出血があったりとか消化管出血があったりそのまま放っておくと命に関わる病気だと思います」
宮平さんは、抗がん剤治療をしながらドナー(候補)を探す日々が始まりました。姉の菜苗(ななえ)さんと型が一致していたことがわかりましたが宮平さんの血液からがん細胞をなくして、手術ができる状態になるまで月1回通院をして抗がん剤を打つということが1年ほど続きました。髪は抜け落ちたり胃腸や下痢などの副作用に苦しむ毎日だったと言います
宮平永橋さん「連絡取る気力とかもなくて、ご飯も食べたら吐いての繰り返したとか筋肉注射とか痛いこともあったり苦しいこともあったり、その両方がやっぱり毎日のように来てたのがきつかった。日常でそこが一番きつかったですね。」
ツラい闘病生活を支えたのは地元の読谷の同級生達や高校の同級生達でした。
金城さん「自分の近い同級生が出ると思ってなくて、なんて声をかけてあげようと思ったんですけどなんかしてあげたいというのは一番思いました。」
長嶺さん「みんなで協力してなにかできることはないかと考えたときに、お見舞金を募ろうと話になって」
清家さん「私たちができることって(永橋が)お金の心配をしないというのが一番できることだと思って早期で寄付金とかお見舞金を集めたのも本人が一番最初に自分の病気を理解してSNSに発信してくれたことが」
お見舞金を募るポスターを作ったりSNSでお見舞金を呼びかけたりしました。
長嶺さん「(永橋さんの)状態をSNSで見ているので 何もできないのが悔しい」
清家さん「永橋は、面識ない人でも例えば長嶺さんの友達の友達が寄付金をやってくれたりとかしたのでそれがすごい」
今月2日、普天間高校野球部のOBが集まる毎年恒例の野球大会が開かれました。宮平さんは病気の治療などから参加を見合わせていて、久しぶりに仲間や先輩たちとの時間を楽しみました。
この日は、1番セカンドで出場しました。迎えた第一打席。
「最悪だ!」初球を打ってショートゴロに倒れましたが宮平さんは笑顔でベンチに戻ります。守備では仲間と息があって機敏な動きでアウトカウントを増やしました。「永橋ナイスカバー」試合には敗れましたが久しぶりに野球ができる喜びをかみしめていました
試合後、宮平さんは充実したきょう1日を振り返ります。
宮平永橋さん「元気な姿で同級生だけでなく今日戦った1つ下の後輩とか先輩にも挨拶ができたのでこれまで頑張ってきてよかった」「僕が病気になった時もみんなが一致団結して何かしらサポートしようという気持ちがあったというのが何よりうれしかったなと思います」
OB会終了後、夜は打ち上げです。野球とは違い、緊張感がなく笑顔が多くなった宮平さんは仲間たちとかけがえのない時間を過ごしました。
宮平永橋さん「カリーさびら」(笑顔で談笑する宮平さん)「これはまた楽しいですね。来年は打てるように頑張ります」
病気になり改めて実感した家族や仲間の大切さ。宮平さんはこれからも病に負けず夢や目標に向かって突き進みます。
骨髄移植のためにはドナーの存在が欠かせません。全国に登録者は55万2809人いて、このうち沖縄県は2万4000人あまりと全国で5番目に多く人口1000人あたりだと「37.72人」と全国最多で意識の高い県となっています。
日本骨髄バンクは、「移植を希望するすべての患者さんに移植の機会が得られるよう、一人でも多くの方のドナー登録を呼びかけています」