今月、沖縄出身の父を持つ2人のフィリピン残留日本人2世が沖縄に降り立ち、それぞれが父の故郷を訪ね歩きました。その一人、アカヒジ・サムエルさんが父の故郷を訪ねた姿を追いました。
墓前に向かって優しい音色を奏でる男性。幼いころに生き別れた父の親族を探し続けて生きてきました。
アカヒジ・サムエルさん「何歳の時、私の父はここを去ったのでしょうか?」
父の出身地は沖縄、そして漁師をしていた。名前は「アカヒジ・カメタロウ」わずかなキーワードをもとに辿りついたのは、うるま市平安座島です。
「勲、kametaro your father」
フィリピン残留日本人2世・アカヒジ・サムエルさん(81)「訳)きょうは、みなさんの前で自分を紹介できることをとてもうれしく思います。そして、こんなにたくさんの家族がいると思っていなかったので驚いています。」
今月14日、一人の男性が初めて沖縄を訪れました。フィリピン残留日本人2世のアカヒジ・サムエルさんです。
「サムエル、サムエル、サムエル! welcome back 」「いとこ!いとこ、いとこです。Long time no see. よく、いらっしゃいました!」
親族だと名乗り出た人たちとの対面に胸を躍らせたサムエルさん。父の故郷への訪問は長年の願いだっただけによろこびもひとしおです。
フィリピン残留日本人2世アカヒジ・サムエルさん(81)「私の心は喜びでいっぱいです。父の兄弟や家族に感謝します」
日本人の父とフィリピン人の母のもとに生まれたアカヒジ・サムエルさん。沖縄出身の父は1920年ごろパラワン島に移り住み、漁師として働いていましたが、太平洋戦争が始まり、フィリピンゲリラに殺されました。
身を守るため、父親が日本人であることを隠して生き抜いてきた日々。日本国籍を取得することができず、今も無国籍のままです。それでも求め続けてきたのは“父とのつながり”でした。
この日、サムエルさんは、父の出身地とされる平安座島に向かいました。待ちきれず、朝5時に目覚めたそうです。
アカヒジ・サムエルさん「訳:僕を捜してくれていたんだろうか、と聞かないほうがいいかな?彼らを批判することになっちゃうかな?」
親族に会える喜びや不安、さまざまな思いが交錯します。
お墓の前で「こっちが妹。 You papa sister.」
親族らの案内で訪ねたのは、父だと思われる赤比地勲さんが眠る墓。説明を受け、亡き父に祈りを捧げます。そして、父への思いを伝えたいと、サムエルさんがハーモニカである曲を披露。
「愛する人をずっと待ち望んでいた」という意味のフィリピンの民謡です。
フィリピン残留日本人2世アカヒジ・サムエルさん「生きているうちに、お父さんとおじいさんのお墓参りに来ることができてよかった」
「よろしくお願いします。ようこそいらっしゃいました。」
サムエルさんは、父・勲さんの弟、光範さんの位牌がある自宅を訪ねました。仏壇に手を合わせます。「Lolo、tatay 、勲、kametaro your father.」
写真で初めて見る父の顔。父の若かれし日の姿を静かに見つめます。また、生前に光範さんからフィリピンに渡った勲さんのことを聞いていたという親族からはこんな話も。
勲さん義妹・香村ミツさん(96)「とっても会いたがって、自分もフィリピンに行きたいさ、兄さん会いたかった、とっても話していつも、話していました(二人手を合わる)」
次々に寄せられる父につながる手がかり。サムエルさんの一時帰国は、親族の人たちにとっても互いのつながりを確認する特別な時間となったようです。
香村幸男さん「うれしいです。(59)親戚が一人生まれたというふうに思っていますね」
當間康之さん「いとこに会えたなと思いですね。さらに絆を深めるために交流をやっていきたい」
フィリピン残留日本人2世アカヒジ・サムエルさん「訳:沖縄に来るまでは、本当の家族かどうか(私たちが捜している)、私たちを受けれてくれるのか心配だった。しかし、沖縄に来て温かく迎え入れてくれてうれしかった」
サムエルさんの姪ミチコ・オルミドさん「訳)父の家族に会うために過ごしてきた時間は無駄じゃなかった。今、こうやって親族に会えてとても満足です」
戦争に翻弄されながらも、「自身のルーツ」を見つけたアカヒジ・サムエルさん。これから、日本人としての国籍回復を目指します。