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県内各地に設けられた収容所。そのひとつ、知念村屋比久の収容所で65年前の7月15日、一人の日本兵が逮捕されました。

八原高級参謀長。

32軍司令部で牛島司令官、長参謀長と共に沖縄戦の戦略を練ってきた人物です。八原高級参謀長は守備軍解散命令の出た6月18日の翌日、摩文仁の司令部壕を出て、本島北部へと向かいました。

大田昌秀さん「最後の酒盛りをして宴会、お別れの酒盛り。正装してね、軍服。ところが、翌19日になったら、軍服を脱いで、そして僕らの同僚を連れて道案内にして、守備軍の壕を出て行った」

それは、牛島司令官と共に自決した長参謀長の命令を受けた行動でした。『主要な参謀を本土に帰還させ、本土決戦に備える』

八原高級参謀長は身元を偽り、住民に紛れ、疑われないように米軍作業にも参加しながら、密かに国頭から小船で与論を目指し脱出することを考えていましたが、ひと月足らずでその夢は断たれました。